繰り返される水害を見るにつけ、治山治水の重要性を思わずにはいられないのである。
 ダムを作ったり、堤防を築いたりするには多額の費用がかかるが、それでいて大きな利益を生むものではない。

 ダム以外でも道路や橋や港などは、需要があったとしても、直接的な利益が見込めないため進んで供給しようという企業が現れない。しかし、われわれの生活には欠くことのできないものだ。
このように市場メカニズムに任せておいたのでは実現されないモノをどう供給をどうするかということで、そこに政府が登場するのだが、残念ながら、経済社会における政府の役割は埼玉県公立入試問題の範囲から除外された。
 入試に出なくても、きちんと学んでおいて欲しいところだ。

 現在の熊本県知事は「脱ダム」、「ダムによらない治水」を掲げて12年前(2008年)に当選した。現在4期目。
 今回の水害を前にして、「なぜダムを作っておかなかった」と言っても後の祭りで、だいいちダムがあったら防げたかどうかは分からない。そして何よりも熊本県民がそれを支持したのであり、その状況が10年以上続いてきたのだ。また、国民が選んだ政府も(当時は民主党政権)、その方針を容認したことを忘れるべきではない。
 今になってダムを作っておけばというのは、結果を見てする議論だ。

 このような、いわば正解のない問いに対し、どうアプローチして行くか。その態度を学ぶことこそ、社会科公民的分野の真髄であって、用語を覚えることなど些末なことである。
 考えるプロセスにおいて、必要に応じて用語(ことば)を習得して行けばいいのであって、初めにことばありきではない。

 と、元社会科教員として理想を語ってみるわけだが、時間の制約のある中で、この理想を貫くのは至難の業というのもよく分かる。
 これはおそらく、どの教科でも同じだ。

 ただ点数を取れればそれで良し、ではなく、学問としての面白さに気づかせたいと思っているのは塾の先生も同じだろう。面白くなれば、生徒たちは勝手に伸びて行くからだ。
 ただ、そういう授業は時間を食う。

 理想と現実の狭間で、どう授業を展開して行くか。私が今、現役の先生だったら、大いに悩むだろう。考え始めたら夜も寝られない。
 そういう先生方を何とかサポートできないか。大したことはできないが、頑張ってみるよ。