優秀な人材を教育界に引き込むには、免許制度をやめればいい。そうすれば企業からでも塾業界からでも人材が流入するようになる。それが出来ないのは、免許制度が経済学で言うところの参入障壁となっているからだ。
 という話をすると、免許制度が教員の質を担保しているのだと反論する人がいる。
 そうかな?

 私の例を少し話すと、教員になる気はまったくなかったので教育学部ではない普通の学部に行った。
 卒業間際に考えることがあって進路変更した。
 高校教員の免許を取るためには教育実習が必須で、その前提として教育原理ほかいくつかの必修単位を履修していなければならなかった。そんなのとってねえよ。
 というわけで、卒業後に聴講生だったかの制度を使っていくつかの単位を積み増し条件を整えた。だいぶ回り道してしまった。 
 
 免許なんてその気になれば誰でも取れる。運転免許と大差ない。
 退屈な講義を受けて、適当にレポート書いて、はい終了。
 免許制度などその程度のものだから、それが教員の質を担保しているとはとうてい思えない。

 免許が質の担保になるなら。知識やスキルの証明になるなら。
 免許を保有しているだけで一度も教壇に立ったことがない主婦やサラリーマンの方が、百戦錬磨の塾講師より上ってことだ。
 そんなわけないだろう。

 質を担保するなら、なってからの研修を強化すればいい。
 とりあえず採用されたらC級。実績や経験に応じてB級、A級、S級と昇級させるのもいい。ずっとC級でも首にはしないが、給料あがらんぞ。 

 再び自分の話だが、学生時代はずっと家庭教師や学習塾講師をやっていた。
 教員になって役立ったのは、大学のつまらん講義より実戦経験だ。
 先生が恐ろしくて休めないと子供たちはいつも泣いていた。
 これは高校の先生になっても変わらず、常に恐怖で生徒を支配した。
 だが、学校も塾も、泣きながらでも毎日来てりゃ、勉強は出来るようになるんだよ。

 話を戻す。

 教員を魅力ある職業にする。学校をやりがいのある職場にする。
 そのことが大前提だが、免許制度という壁を取っ払わないと、優秀な人材を呼び込むことができない。
 大して意味のない免許制度に固執し、あろうことか更新制度まで設けるとはあきれる。

 免許制度の撤廃。それがただちにできないなら制度の緩和、運用の弾力化。めざすならこっち。