パスポートが期限切れになったので大宮ソニックシティのパスポートセンターに更新手続きに行ってきた。驚いたのは待ち時間ゼロだったこと。お客は私一人。窓口係員も暇そうで勤務中にも関わらず井戸端会議に興じていた。この閑散とした風景は、朝早い時間だったからか、それとも曜日の関係か。頻繁に行くような場所ではないので分からないが、やはり海外に出かける人が少ないということだろうか。

 で、このご時世に海外へ?
 って、そんなわけないでしょう。いざという時のために忘れないうちにやっておこうと思っただけ。
 10年有効だから、まあこれが人生最後の更新だね。

 年を取ると、このように「人生最後の」というやつがやたら増えるんだ。
 もちろん、「人生初の」というのもあるわけだが、、その場合は「人生最初で最後の」となるわけである。

 よく、今日が人生最後の一日だったら、その一日をどう過ごすかという問いがある。
 決まってるじゃないか。
 昨日までと同じように過ごすだけだ。
 
 洗い物しておくか。ついでに洗濯も。そうそう明日は燃えるごみの日だった。袋にまとめておこう。
 待てよ。明日オレはこの世にいなのだ。でも、いいや。いつも通りやっとこう。

 オッと、電話がかかってきた。
 オレ今日で人生終わるんだけどさ、あそこのウナギ旨かったよな。また行こうぜ。
 って、無理無理。今日で終わりなんだから。

 と、こうやって、いつも通り淡々と一日をやり過ごす。

「いやあ、そりゃないだろう。最後なんだぜ。今までと違った別の一日にしなきゃ。たとえ一日24時間の猶予しかなくても、今まで出来なかったことを少しでもやって、特別なもの食って、みんなと会って、話して、笑って。思い残すことのない一日を過ごしたほうがいいんじゃないかな」

 なるほど。それももっともだ。
 だが、それらをなぜ人生最後の日に持って来る。
 オマエの言ってることは全部、昨日までにできたことじゃないか。なぜ、やらずに来た。

 明日、また明日、さらにその先にと延ばしていたら、最後の一日がいくらあったって足りないぞ。
 昨日も24時間、今日も24時間、来ることのない明日も24時間。今日の24時間で出来るなら、昨日でも一昨日でも、1週間前でも1か月前でも、いつでも出来るじゃないか。
 だったら、やるだけやって、最後の一日ぐらいノンビリと過ごそうじゃないか。