昨日(1月10日)から埼玉県内私立中学校入試が始まった。首都圏では埼玉がもっとも早く、次いで千葉、東京・神奈川の私立中学入試は2月1日から始まる。
 試験の開始日(俗にいう解禁日)は法律や条例で定められているわけではない。私学の集まりである私学協会の申し合わせ事項である。まあ、業界の自主規制というか、内部ルールみたいなものだ。
 これを決めておかないと、試験日がどんどん早まる。いわゆる“青田買い”が始まる。
 それで、試験を行っていい最初の日(解禁日)を設けた。

 手元に確かな資料がないので分からないが、埼玉県内において中学入試の解禁日が設けられたのは、おそらく平成時代に入ってからだろう。
 現在、埼玉県内には私立中学校が31校あるが、昭和時代には4校(浦和ルーテル学院・秀明・自由の森学園・聖望学園)しかなかった。
 これなら、わざわざ協会として申し合わせをする必要もなさそうだ。

 平成時代に入ると、まず平成4年に栄東と城西川越が中学校を作った。
 翌5年に西武文理が後を追った。
 やや開いて9年に開智と埼玉平成がスタートを切った。
 ここまでで9校。
 まだ私立中学校ブームとまでは言えない。

 だが、平成も10年代に入ると様相が変わってくる。
 12年に埼玉栄、星野学園、立教新座。
 13年に獨協埼玉。
 14年に城北埼玉。
 15年に浦和明の星女子、大妻嵐山、春日部共栄。
 4年間で8校が新設され、計17校となった。

 16年は新設がなかった。
 17年に浦和実業学園、大宮開成、淑徳与野。
 18年に本庄東。
 2年間で4校が新設され、計21校となった。

 結局、平成10年代を通じて12校が新設され、県内私立高校のおよそ半分が併設の中学校を設立し、中高一貫体制を整えた。
 なお、この間、15年に伊奈学園、19年に市立浦和と公立一貫校も出現している。
 平成10年代は正に埼玉県における私立中学校新設ブームであった。

 平成20年代に入ると、ペースダウンするが、まだまだ新設は続いた。
 21年に東京農大三。
 22年に昌平。
 23年に開智未来。
 24年に西武台新座。
 25年に国際学院、狭山ヶ丘、東京成徳大深谷、武南。
 ここでも5年間で8校が新設され、計29校となった。
 これにより、併設中学校を持たない高校単独校が少数派となった。

 その後は、28年に本庄第一、31年に細田学園と続き、現在の31校体制となった。
 なお、31年には、さいたま市立の大宮国際中等教育学校が新設され、今年(令和3年)4月には市立川口高校附属中学校がスタートする。

◆中高一貫はオプション
 埼玉県内私立中学校の特徴は、「中高一貫教育」が一つのオプションにとどまっていることだ。
 高校からの募集を行わないことを「完全中高一貫」などという。
 東京都内にはそのような私立が多いが、埼玉県では制度上そのようになっているのは浦和明の星女子のみである。

 栄東や開智は結果として中学からの内部進学者(内進生)が高校からの入学者(高入生)を上回ることもあるが、一つのオプションの域を脱していない。
 高校入試を行わない「完全中高一貫」または、ごく少数の高入生しか受け入れない「準・完全中高一貫」が将来的な方向と考えられるが、どこが先陣を切るかである。
 ただ、現在31校のうち半数が中学校募集定員を70~80人程度に設定していて、それすらも満たせない学校がほとんどという実情を考えると、「完全中高一貫」への道は果てしなく遠い。

 個人的には今のところ、「中高一貫教育」をオプションとして位置づける考え方があってもいいと思っているのだが、そうであれば、校舎も教える教員も別にして、学校行事も分ける(部活ぐらいは一緒でもいいが)ぐらいにしないと、さまざまな矛盾が生じるのではないか。
 高校3年と中高6年では、教育目標も教育方針も教育内容も教育方法も変わってこなければおかしいわけで、それを同じ場所で同じ教員が教えて、場合によっては生徒も混じり合って、果たしてそれで目指す理想が実現できるのだろうか。

 中学校募集定員を満たしているのは、31校中10校程度なのだが、定員を確保できていない学校は、オプションならオプションでいいから、それをもっと魅力あるものにしなければならない。
 高校との完全差別化を図らなければ価値あるオプションとは言えない。
 「結局、高校からでも同じじゃないか」となれば、誰が高い学費を払うものか。
 中学受験市場の厳しさを理由に挙げる人もいるが、この市場は縮小市場ではなく、拡大市場である。
 緩やかではあるが、発展しつつある市場である。
 なぜここで負ける。

 というわけで、最近ちょっと負け癖がついていると思われる一部県内私立中学校に喝を入れてみた。