年寄りの話はなぜ長いのか。そういうタイトルの本もあるので興味のある方はお読みになるといい。
 私の場合、自身が年寄りであるから、わざわざ他人から教わる必要はない。
 「俺の話はなぜ長いのか」を考察すれば、それが答えである。

◆途中で何を話しているか忘れる
 たぶん短期記憶の衰えである。
 昔のことはつい昨日の出来事のように思い出せるが、ちょっと前のことを忘れる。
 死んだ父や母も晩年はそうだった。
 私もその年齢に近づいてきたので、最初に話したことを忘れ、途中で同じ話に戻り、最後にまた繰り返す。

 若い頃は話の内容を頭の中で組み立てることができたが、それが出来ないのでメモに頼る。
 この方法が良いのか悪いのかは分からない。
 メモに頼るとかえって記憶低下を助長する恐れもあるらしく、難しいところだ。

◆全部話したがる
 大事なところだけ話せばいいでしょうと思うが、つい全てを語ってしまう。
 優先順位がつけられればいいのだが、「これは絶対言う」、「これは場合によっては省く」というような順位付けができない。
 判断力の衰えである。

 しかし、私はもう一つ別の理由があるような気がする。
 死に対する無意識の恐れ。

 年を取ると全てを死に結び付けて考えるようになる。
 むろん個人差はあると思うが、私の場合はそうだ。

 どうも寝つきが悪いな。
 何か病気かもしれない。
 もしかしたら死ぬんじゃネ。

 ちょっと頭痛がするな。
 何か病気かもしれない。
 オレ、死ぬんじゃネ。

 そうやって、一つ一つの現象をすべて死と結びつけてしまう。
 そうだ、もう残りが少ないんだ。
 今のうちに話しておかなくては。
 と、意識はしないが本能がそうさせる。
 ま、科学的根拠はないけど。

◆自分史を語ってしまう
 「では、ここで皆さんの自己紹介を・・・」
 という場面がままあるわけだが、そこで滔々と自分史を語ってしまう。
 何しろ生きてる年数が半端じゃないからね。長げー長げー。

 だからさ。思い出語ってくださいじゃなく、自己紹介してくださいなんですけど。
 と言われても、そんなの知るか。
 そりゃあ、あなたにとって忘れがたい思い出かもしれないけど、他人にとってはどうでもいい話。
 本人にとっては宝物、他人にとってはただのゴミ。
 ゴミもらって喜ぶやついる?
 
 しかし、これも死期が近いからかもしれない。
 私の人生は美しかった。
 これで良かったんだ。
 そう納得して死にたい。

◆自慢話ばっか
 これは必ずしも年寄りばかりとは言えない。

 聞いてて一番楽しいのが失敗談。
 一番聞きたくないのが成功談。
 自分が聞く側に立ったら、そうだよね。
 でも、立場変わるとそのことを忘れてしまう。

 聞いてる方も聞いてる方で、「いやあ、すごいですね」などと調子を合わせてしまう。
 麗しき敬老精神だが、これが火に油を注ぐというやつで、本人ますます燃え上がってしまう。
 結果、自慢話百連発。

 が、これも死期が近いからかもしれない。
 そりゃあ誰だって、自分の人生に納得して死にたいもの。

◆普段、聞いてくれる人がいない
 昔偉かった人は、人に話を聞いてもらえた。
 立場にモノを言わせて無理矢理聞かせてたんだけどね。

 でも、年を取るとだんだん周りに人がいなくなっちゃう。
 友達もどんどんあの世に行ってしまう。

 だから、話す機会、と言うか、話を聞いてもらえる機会を得ると、ここぞとばかり喋りまくってしまう。
 この機を逃したら、もう二度とないぞと本能が知らせるからだろう。

◆1分でお願いします
 よく進行係から言われるでしょう、「1~2分でお願いします」って。
 でもそれを無視して5分や10分軽く話してしまう。

 しかし、これは無視してるわけじゃないんだ。
 実は本人の中では1~2分。
 若い人とは時間感覚が違う。
 若者の1分=年寄りの10分

 若者は頭の働きも身体の動きも速いから1分でいろんなことができる。
 でも年寄りは同じことが10分かかるわけだ。意識の上では1分なんだけど。

 どうだ、分かったか。これが年寄りの話私の話が長い理由だ。
 まあ長く話せる体力は残っているということでもあるが。