先日、某民間団体の方々と意見交換する機会があった。総勢15人。年齢的には私とほぼ同世代の方が多かったのだが、前歴がすごい。
あえて社名は出さないが、まあ日本人だったら誰でも知っている企業の出身者ばかりだ。
就活中の大学生から見たら、目もくらむような大企業OB。
次に生まれてきたときは、こんな大企業の一員となって世界を相手にビジネスしてみたいものだ。
で、前職の話はいいとして、これらの方々が異口同音に述べたのが、「先生は世間知らず」だということ。
小中高大と学校を出て、そのまま学校に務めたので、世の中というものを知らないというわけだ。
これに対する私の反論は、「あんたらも同じだろうが」、である。
私は40歳を過ぎて先生(公務員)から民間企業に転じた。
その時、面と向かって言われたのがこの言葉であり、言われた私もたしかにそう思った。
名刺の出し方、電話の出方、言葉遣い、礼儀、その他諸々。
いろんなものが、私のいた学校社会とは違っていた。
だから、お前は世間知らずと言われたら、受け入れざるを得なかった。
私は必死になって世間を知ろうとした。
こいつは大変なことになったと思ったが、結果を先に言えば、世間は予想外に早く知ることができた。
彼らが言うところの世間とは、自分の会社や自分の属する業界のならわしや常識のことだったのだ。
なんだ。世間、世間と言うけれど、そういうことだったのか。
彼らも若い頃は私と同じように、学生だった。
だが、学校を卒業すると会社に入った。
そして、そこが彼らにとっての世の中になった。
私は学校を卒業すると学校にUターンした。
別に生徒や学生として戻ったわけじゃないが、とりあえずそこが世の中となった。
ただ、これだけの違い。
たしかに、また振り出しに戻ったようなイメージであることは否めない。
前に進んでる感もないし、成長してる感もない。
けれども、私も世の中の一員となったのは確かだし、それなりに世間を学んだ。
ところが、別の世間に足を踏み入れたら、「世間知らず」と言われた。
あっちの世間から、こっちの世間に移れば、そりゃあそうだろう。
もしかしたら、世間って一つしかないと思ってるんじゃないの?
世間は一つじゃないんだよ。
たくさんある。
そして世間が違えば、考え方も価値観も、習わしもみんな違うんだ。
自分の会社や業界だけが世界で唯一の世間だと思い込むことこそ「世間知らず」というものだ。
「世間知らず」から「世間知らず」と言われたくはないよね。
冒頭の民間団体のお歴々は、教育の重要性を口々に語られる。
世界を相手に戦ってきた方々の言葉は重く受け止めよう。
人材育成こそが日本と世界を救う道だ。
うん、有難い言葉だ。
120%同意。
しかし、先生は「世間知らず」だから俺たちが世間を教えてやろう。
というのは、ちょっと違う。
まあ、そうだな。「君らが知らない別の世間があることを教えてあげよう」。これならいい。
そもそも相手を認められない人に教育なんて業はできない。
これ、かつて私が生息していた世間の常識、イロハのイ。
もしかしたら、意見交換に参加された方たちの何人かがこのブログをお読みになるかもしれない。
どうぞ、読んでください。
私は学校が世間である方々も、世界を相手にビジネスをしてきた方々も、どっちも同じようにリスペクトしていますよ。
旧いブログに同じようなことを書いている。
コチラは時間のある時にでもお読みいただければ幸いである。
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