昨日は説明会における説明について書いた。
 その続編である。

 私自身は説明会で説明をする機会はない。
 が、似たような状況としては、セミナーや講演会などがある。

 たとえば、中学3年生向け(高校受験生向け)説明会。
 主催者である中学校からのリクエストは、大体次の3つだ。
 1 入試の制度や仕組みについて教えてほしい。
 2 受験勉強の仕方について教えてほしい。
 3 学校の選び方について教えてほしい。

 どれも、それほど難しい話ではない。
 先生が話せばいいことだ。

 私が持っている情報と先生が持っている情報は、ほぼ同等だ。
 なぜなら、私が用いている情報やデータは、すべて公開情報だからだ。

 文部科学省や教育委員会がこんなデータを出した。
 各学校がこんな情報発信をしている。
 新聞やテレビがこんな報道をした。

 それらは誰でもアクセスできる情報である。
 その意味で、誰もが同等。

 もし私が、先生が持っていない情報を多少なりとも持ち合わせているとしたら、リアルに学校を訪問し、その見聞から得られた、いわゆる生の情報ということになる。
 が、そんなものは、いくら語っても「それって、あなたの感想ですよね」と言われれば、それまでだ。
 
 さて、そうなると。
 学校の先生が話せば済むことなのに、なぜ外部から講師を招くのか。
 私を呼んだらただじゃ済まないぞ。

 思うにこれは、先生が自らの正しさを証明するためではないかと思うのである。
 先生は、勉強の仕方など、耳にタコができるぐらい、言い聞かせているのだ。
 だが、ガキどもは、親と先生の言うことに素直に従おうとはしない。
 中には素直な子もいるが、大方は有難みを感じるなどということはない。
 近しい間柄だと、そんなものだ。

 そこで、外部からエライ先生を呼んでくる。
 私は別にエラくはないが、そこらのただのジジイというわけでもない。
 よく言って聞かせれば、この爺さん入試に詳しいらしいぞということは、中学生でも理解できる。

 で、その爺さんが、ふだん先生が言っていることと同じことを言う。
 ここが大事なところなのだ。

 すると先生は明日の授業でこう言うだろう。
 「な、いつも言ってた通りだろう」
 (オレの正しさが分かったか)
 「昨日の講演ではあんなふうに言ってたけど」と、否定しなければならないようではダメなのだ。

 私はよく、こんな言い方もする。
 「私がこれから言うことと、ふだん先生が仰られていることとが違っていたら、先生を信じなさい」
 「事実は一つでも、それにどう受け止め、どう対応するかは人それぞれです」
 「あなた方のことを最もよく知り、あなた方のことを一番思ってくれている人を信じなさい」

 さらに、繰り返しこんなことも言う。
 「今日の話でよく分からないことがあったら、先生に質問してください」
 「もっと詳しい話を聞きたければ、先生に頼んで教えてもらいましょう」
 
 私のミッションは、表面的には先に示した3つの疑問に答えることだ。
 しかし、真の役割は、先生と生徒とが良い関係を作れるように、後押しすることではないか。
 そう勝手に解釈しているのである。

 私の瞬間芸によって、その場ではちょっとはやる気が出るかもしれない。
 が、そんなものは長続きしない。
 「あの時の、あの講演のおかげで合格することができました」
 って、そんなことあるわけないだろう。

 継続的に。
 責任と愛情を持って。
 指導に当たれるのは先生だけだ。
 指導は継続的に行われないと効果は現れない。
 通りすがりの爺さんには指導の持続性が無い。

 でも、先生と生徒のコミュニケーションがいまいちうまく行っていない。
 そういう場合もある。
 あるいは、もっと良くしたい。
 だったら、良い関係(コミュニケーション)を回復し、発展できるようにお手伝いしようじゃないか。

 今日の講演は上手く行った。
 などと、その場で満足してはいけない。
 アンケートの結果、好評でした。
 って、それがどうした。

 翌日生徒たちが、「先生ッ」って訪ねていったら、ちょっとは成功したと言っていい。
 会話や相談のきっかけになればいい。

 以上、昨日からの続きで、ただ説明すれば良いというものではなく、次なる行動を促すことが隠されたテーマであるという話だ。