どうせ大した記事ではなかろう。
 そう思ってトイレの中の暇つぶしで読んだが、場所に相応しいクソ記事だった。
 一応紹介するが、忙しい皆さんは読まなくていい。

 わが子を男女別学に行かせるべきか共学にすべきか…経済学の研究が導き出した結論 共学化で男子も女子も成績が下がる衝撃の結果に(プレジデントオンライン)

 タイトルの付け方は上手い。
 これは見習いたい。

 記事の執筆者は拓殖大学の准教授。
 雑誌やネット記事の通例で、執筆者は基本、見出しには関与しない。
 これは、プロの編集者の仕事だ。

 韓国やトリニダード・トバゴの研究では、共学化で男女とも成績が落ちたのだという。
 なんだよ、日本の研究でも自身の研究でもないのかよ。
 別に韓国やトリニダード・トバゴだからどうだというわけではない。
 教育事情は国ごとに違うから、次は日本の研究を頼むよ、ということ。

 狭い狭い個人的な経験の範囲で言えば、どちらにもメリット、デメリットありとしか言いようがない。
 もし、もう一度高校生に戻るとしたら?
 やっぱり男子校でいいや。
 なにせ気楽。
 もし、もう一度先生をやるとしたら?
 そりゃあ共学校だよ。
 断然楽しい。
 と、結局自分の過去を語っているだけ。

 私立が建学の精神や教育哲学に基づき別学を貫くのは自由だ。
 募集戦略上、共学化するならどうぞご自由に。
 ただ、公立高校には歴史や伝統はあるにしても、特段の建学精神や哲学があるわけではない。

 税金で運営する共有財産であると考えれば、県民の意志も尊重されなくてはならない。
 学校は在校生や卒業生だけのものではないのだ。

 別学は差別だと言う人々がいるが、彼らは同時に多様性も主張するし、個性を重視せよとも言う。
 全部が共学化すれば、ある意味、画一化に向かうことになる。
 別学が良いという少数派の意見を排除することにもなりかねない。

 新しく高校を作ろうという人がいたとして、この時代、あえて別学を作ろうとする人はいない。
 その昔、と言っても高々100年前であるが、すべての高校は男女別学だった。
 それが当時の思想であり常識であり、別学以外の高校は作れなかったのだ。
 大ざっぱな言い方をすれば男子のための旧制中学校か、女子のための高等女学校(実科高等女学校)。 
 それ以外の発想はなかった。

 戦後の占領政策の中で新制高校は男女共学となった。
 しかし、どさくさに紛れて別学を残した。
 あの時、すべて共学化していれば、今の別学・共学論争はなかった。

 この先、何十年という単位で考えれば、流れは疑いもなく共学化だ。
 男子校の浦高も、女子校の浦和一女も消滅するだろう。
 残念ながら年寄りの私は、その事実を生きて確認できないが、間違いなくそうなる。
 もし女子の特性を生かした教育や、男子の特性を生かした教育というものがあるなら、その中で教育体制や教育内容を編成すればよかろう。

 6年前、旧ブログ時代にこんな記事を書いた。
 (探すのに苦労した)
 浦高、一女の共学化。こんなプランなら賛成してもいい
 いま読み返してみて、考え方としてそんなに変わっていないかなと思う反面、成長してねえな、とも思う。