文部科学省が、教員の奨学金返還を減免するため、必要経費を来年度予算案の概算要求に盛り込む方針だという。
 深刻化する教員不足を解消しようとするものだ。

 「教員の奨学金減免へ 文科省、概算要求方針 人手不足解消に」(8月4日 朝日新聞デジタル)

 今は、独立行政法人日本学生支援機構となっているが、昔は日本育英会と言っていた。
 私の周りにも育英会の奨学金を受けていた人はいた。

 昔話をちょっとすれば、我が家は父親が事業に失敗し、家も土地も一切失い、借金まみれのどん底生活に陥った時期があり、それがちょうど大学生活の半ばだった。
 当然学費をどうするかとなるわけだが、借金で失敗した親父を目の前にして自ら借金をする気にはならず、働きまくって何とか費用を工面した。おかげで20代の若さで過労でぶっ倒れたが、何とか生き延びた。

 本題に戻る。

 教員になると返済が免除または軽減されるというのが今回の施策だが、これは昔あった制度だ。
 橋本内閣が行った行政改革でこの制度がなくなったと記憶している。
 なので画期的なアイディアというより、昔あった制度の復活と言ったほうが良さそうだ。

 制度の詳細はよく分からないが、仮にこの制度により教員志望者が増えたとすると、採用試験が難化して教員になれない人が出て来る。
 つまり教員にならなかった人やなれなかった人には返済義務が生じることになる。
 うまく行ったら行ったで、別の問題が発生しそうだ。

 教員不足を解消するための施策がさまざま考えられているが、その多くが採用に焦点を当てているように思える。
 むろんこれも大事なことで、応募者が増えればある程度教員不足は解消されるわけである。
 だが、一方で途中で辞めてしまう人が増えれば、新規採用しても総数が増えない計算になる。

 採用の部分にだけ焦点を当てるのではなく、現職教員の働き甲斐を増進させる施策を同時に行っていかないと、根本的な解決とはならないだろう。

 いや、だから働き方改革を進めているではないかと言われるかもしれないが、前も言ったように、私はこの働き方改革というものに疑いを持っている。
 全否定はしないけれど、改革の名で行われることは、経験上、管理強化や費用削減を狙ったものが多いわけである。
 改革だ、改革だとやっているうちに、かえって職場の活気も教員の魅力も失ってしまうことになりはしないか、と、その点を心配しているのである。

 またまた個人的な話になるが、私自身は「今日は学校行きたくねえな」とか「先生やめてえな」と思ったことはなかった。
 (結局、辞めているのだが)
 パソコンも無い時代で、すべて手仕事だった。
 教室にエアコンもなかった。
 当時、過労死という言葉はなかったが、今風に言えば、全員過労死レベルを超えていただろう。
 それでも仕事は楽しかった。やりがいはあった。
 何より、教員という仕事に誇りを感じていた。

 給料が増えたって、労働時間が減ったって、誇りを持てない仕事や尊敬されない仕事なんてやりたくないよ。
 いま進んでいる働き方改革に欠けているのは、この視点なんじゃないだろうか。
 それとも、こういう思考がそもそも時代遅れなのか。
 たぶん、そうだ。