現代の学校では、考えることや調べることや話し合うことが重視されている。
 それはいい。
 考えられない人間や調べられない人間を世に送り出したのでは、何のための学校かとなる。
 
 私が教員であった昭和時代に、こうしたことがまったく無視されていたかというと、そんなことはない。
 やはり生徒には考えさせたかったし、調べさせたかったので、そのような授業を目指した。。
 ただ、道具立てが今日ほど揃っていなかったし、手法も開発されていなかったので、きわめて不十分なものではあった。

 と、ここで突然、会社の話に移る。

 私は株式会社の代表取締役ということになっているが、実質的には個人企業、自営業だ。
 が、一人でやれることには限度があるので、複数の他社や個人と組んで仕事をすることが多い。
 経理その他の社内事務はパート社員を雇用している。

 仕事を進めて行く上で、皆さんにお願いしているのは、「分からないことはすぐに聞いてほしい」ということだ。
 聞けばすぐ分かることを考えたり調べたりするのは時間の無駄だ。
 ギャラや給料は実務の遂行に対して支払っているのであって、考えたり調べたりすることへの対価ではない。

 基本的知識は尋ね合い、教え合って共有する。
 世の中、すでに答えが出ている問題は多い。
 たぶん、そっちの方が多いだろう。
 どうせ同じ答えに辿り着くのだったら、最初から答えを見てしまおう。
 
 しかし、まだ答えが出ていない問題、何が正解かが分からない問題もある。
 考えたり調べたりの必要が出て来るのはそこからだ。
 考えたり調べたりするべき事柄が山ほどあるのだから、聞けばすぐ分かるようなことを考えたり調べたりしている暇はない。

 というのが、会社人としての私の理屈だ。

 さて、この理屈は学校や授業に当てはめられるだろうか。

 子供に聞かれたら、自分で考えろとか調べろと言わずにどんどん教えてしまう。
 いや、むしろ聞かれる前に教えてしまう。
 ちょっと考え、ちょっと調べれば分かるようなことを聞かれると先生もムッとくるだろうが、そこをこらえて、「はいよ」と教えてしまう。

 だが、そんなことをすると、自分の頭で考えない子になってしまうから、それは駄目。
 おそらくそのように言われるだろう。
 「さあ、まず自分達で考えてみましょう」
 これが現代の主流だ。

 しかし、そうなると、これから先は聞けば瞬時に解決するような問題を、無駄に時間をかけて考えたり調べたりする人間が増えることになる。
 「分からないことはすぐに聞いてほしい」派の私にとって面倒な時代がやってきそうだが、彼らが成人する頃にはすでにこの世の者ではなくなっているから、まあいいか。