滋賀県東近江市の小椋正清市長が「不登校の大半の責任が親にある」「フリースクールは国家の根幹を崩す」などと発言し、物議を醸している。
と言うより、批判にさらされている。

 ちょっと前、埼玉県の虐待禁止条例が大騒ぎになったばかりだが、そろそろ燃料切れかとなったところで、新たな炎上ネタが投じられた。
 みんな大好き教育ネタ、参加自由の教育ネタなので、騒ぎはしばらく続くかもしれない。
  
 小椋正清市長、調べてみたら昭和26年(1951年)生まれとあった。
 同い年じゃないか。72歳。
 年寄りだから考えが古いという見方もあるが、こうした案件で、待ってましたと抗議運動、反対運動に走るのもまた70代なので、年寄りがみんな市長と同じ価値観、考え方というわけではない。

 発言があったのは滋賀県首長会議の場。県知事と14市長の集まりである。
 滋賀県庁ホームページによると、「滋賀のすべての子どもたちに、学びと育ちの機会を保障するための不登校対策について」をテーマに意見交換が行われたようである。議事録などは見つからなかったので、以下、マスコミ報道の範囲内である。

 東近江市長の発言をまとめると、以下のようになる。
「大半の善良な市民は、嫌がる子どもを無理して学校という枠組みの中に押し込んででも、学校教育に基づく、義務教育を受けさようとしている」
「不登校になる大半の責任は親にある」
「国がフリースクールに全部ゆだねる動きが出てきたときに、そもそも教育を受けさせる親としての責任や義務、教育基本法、学校教育法の枠組みが崩れるのではという危機感を持っている」
「ボーダーラインにいる子がフリースクールで楽しんでいる子供を見たら、雪崩現象を起こすかもしれない。だから、あえて問題提起した」
 大体こんなところか。

 市長の価値観はおくとして、現状認識が違っていると思われる。
 「嫌がる子供を普通の親は無理にでも学校に通わせている」
 まあ、嫌がる子供も一定数いるかもしれないが、基本的に子供は学校が好きだ。各種調査でもそれは裏付けられるだろう。
 ただ、好きな理由は友達がいるからで、勉強が楽しいという理由が少ないのは残念なところだ。
 いずれにしても、学校には子供を惹きつける何かがある。

 これを逆に言えば、友達とうまくやれない子供にとって学校は楽しいところではなくなる。先生とうまくやれない子供にとっても、学校は苦痛だろう。
 親に起因する部分が全くないとまでは言えないが、大半の責任が親にあるという認識はズレているとしか言いようがない。

 行きたがらない子供を無理に行かせようとすると、かえって事態を悪化させるから、別の道を探ったほうがいいというのが、不登校に対する今日の共通理解であろう。
 この会議自体も、そうした前提に立ったものであったはずだ。

 市長は、フリースクールが増えると、ましてや国がそれを支援するようなことになると、教育制度そのものの根幹を揺るがすのではないかと危惧しているようだ。
 これも、ちょっと違う。
 市長が信じて止まない日本の教育制度そのものが見直されなくてはならない時期に来ているのだ。
 制度だけではなく、教える内容も含めて、改革が迫られている。
 そういう時代なのだと思うが、この点でも市長の現状認識は誤っていると思われる。

 旧来の制度を絶対的なものと信奉する人々にとってフリースクールなど許しがたい存在なのだろうが、そもそも、現制度が生まれた時代は、社会にそれほどの多様性がなく、みんなが同じ制度の下、同じことを学んでも、それほど不都合は生じなかった。
 21世紀の今、令和の今。80年近く前にできた制度で、対応できるわけがないではないかというのが、多くの人々の認識であろう。

 むろん学校の先生方はそのことをよく分かっている。
 しかし、直接的に制度そのものを変える権限はないから、現行制度の中で何とか学び方や学ぶ内容を変えられないかと努力し工夫している。
 それをバックアップするのが政治家の仕事だろうが、と思うが、この市長、大丈夫か。