平均点予想は難しい。
 天気の予想は概ね当たるし、選挙の当落予想などもほぼ間違いない。
 それらに比べると、競馬の勝ち馬予想といい勝負で、これはもうギャンブルに近い。

◆平均点予想は勘と経験頼み
 まあ、その気になれば選挙の時のように試験会場に出張り、「何が難しかったですか」などと出口調査すればいいし、ネットを通じて自己採点結果をデータ収集すればいい。
 いや、そんなことをしなくても、膨大な受験生データを持つテスト会社であれば、どんな出題内容どんな出題形式ならどれくらいの正答率が出るかを学力階層別に割り出すことぐらい出来るだろう。
 いくらでもやりようがあるのだ。
 それこそAIの出番だ。
 何なら受験生が控えてきた自分の解答を送れば直ちに自動採点して結果を送ってくれるというサービスだって可能だろう。
 
 が、問題は、お金を払ってでもそこまで求めたいという需要がどれだけあるかだ。
 度数分布、平均値、中央値、最頻値、標準偏差、加えて合否可能性まで出して○○円。
 これが果たしてビジネスとして成り立つかどうか。
 世の中では、技術的には可能だが、ニーズが少なく採算が合わないために商品化されないサービスはいくらでもあるだろう。

 そうなると今のところ、数少ないデータと勘と経験に頼った平均点予想あたりがちょうどのところなのだろう。

◆ご褒美だ、遠慮なく受け取ってくれ
 受験生の皆さんも今日明日くらいは自身の結果が気になるだろうが、日にちが経つにつれ、やるだけやったのだから静かに結果を待とうという心境に変わってくるだろう。
 それでいいと思う。

 一部の人は欠員補充(二次募集)に臨むことになろうが、大多数の人は重苦しい受験から解放されたのだ。
 残り数週間となった友人たちとの時間を思う存分楽しもうではないか。
 これは長い受験勉強を戦い抜いた君たちへのご褒美である。
 遠慮なく受け取って欲しい。
 (って、私があげるわけじゃないが)

◆人間の価値は結果で決まるのではない
 中学生には難しいかもしれない話なので、先生方の言葉で伝えてもらいたい。

 人間の価値は結果で決まるのではない。
 真の価値は、結果をどう受け止め、どう振る舞うかで決まる。
 そういう話だ。

 優勝には価値がある。
 だが、敗者へのリスペクトがなかったらどうか。
 応援してくれた人への感謝がなかったらどうか。
 そういう人をわれわれは真の勝者と認めるだろうか。
 祝福されない勝利に意味はない。
 これが、人間の価値が結果のみで決まらない理由である。

 敗北という結果だけを見れば、そこに価値はないように見える。
 ただしそれは、勝者へのリスペクトと応援への感謝がない場合である。
 勝利は失っても誇りまでも失ってはならない。

 とまあ、偉そうなことを言っているが、実のところ70年も生きてようやく辿り着いた結論だ。
 自分が中学生のとき、このことをどれだけ自覚していたかというと、まったく自信がない。
 
 今は真の意味が分からなくても、そのうち分かることはあるものだ。