日本の教育をどうするのか。
 高等学校教育はどうあるべきか。
 というようなことは一顧だにせず、ただ党利党略のみで授業料無償化に突き進む。
 まさかこんな流れになるとは政治の世界とは分からないものだ。

 埼玉県においては令和9年度入試から公立入試制度の一部が改正される。
 これにより受験生・保護者の高校選びがにどんな変化が現れるのか。
 多くの教育関係者の関心はここにあろうかと思うが、いやもう、そんなことはどうでもいい。
 所得制限無しの無償化のインパクトに比べたら大した問題じゃない。
 入試の特色化なんぞやってる場合じゃないぞ。

 今でもすでに国の支援金や県の補助金はある程度充実してきているので、実際のところ、無償化にそれほどのインパクトはないかもしれない。
 だが、世の中大事なのはムードである。
 これまで支援金や補助金のしくみは分かりにくかった。
 特に分かりにくいのが所得制限の部分。
 だが、所得制限無しの授業料無償化となれば、面倒な説明は要らない。
 とにかくタダ。

 非常にシンプルに分かりやすい授業料無償化。
 それに対して、ちょっと説明されたぐらいでは簡単には理解できない新しい公立入試のしくみ。
 埼玉県の場合、これがタイミング的にピッタリ重なるのだ。
 ただでさえ、分かりにくい公立入試より分かりやすい私立入試に流れそうなところに持って来て授業料無償化。
 となれば、これはどう考えても私立にとって追い風だ。

 埼玉県において、長い間、私立は公立を補完する立場に置かれてきた。
 簡単に言えば、滑り止め。
 むろん、そうではない私立もあるが、全体としてみれば、やはりメインは公立だ。
 教育の質という面において、公立に高い評価を与え、信頼をおいている人が多いということだろう。
 私立は無償化という追い風を利用して、この立場を逆転させることができるかどうか。

 私立の中には、これで定員確保がしやすくなったとホッとしている学校もあるかもしれない。
 しかし一方では、量的な面ではすでに目標を十分に達成している学校もある。
 言い方は何だが、集まり過ぎて困っている学校さえある。
 そういう学校にとって、公立入試改革や授業料無償化は、質的向上のきっかけにしなければ意味がない。
 
 無償化が単に量的確保で終わってしまう私立と、教育の質的向上につなげられる私立とに二極化するのではないか。
 そんな予想を立てている。