熊谷高校の塾対象説明会に行ってきた。
昨年に続いて2回目。
参加者人数は昨年より若干多かったかもしれない。
1年前にも熊高塾説にからめて記事を書いている。
名門・熊谷高校 募集広報強化で巻き返しなるか(2024年6月3日)
◆第1回調査で1倍を超えられるか
昨年(令和7年度入試)は、第1回進路希望調査では0.96倍と定員割れ状態、第2回進路希望調査でも伸びず0.96倍のまま。最終的には1.05倍となり定員割れは回避したが、受験者335人に対し合格者319人、不合格者16人という緩い入試。
現状打破のためには、第1回進路希望調査で1倍超えを達成することである。
昨年の場合で言えば、浦和の1.50倍、川越の1.52倍までは行かなくても春日部の1.26倍に近い数字まで上げてもらいたいところだ。ちなみに全県普通科平均は1.28倍だ。
熊谷高校のここ10年間の第1回倍率は次のとおりだ。
平成28 1.28倍
平成29 1.14倍
平成30 1.21倍
平成31 1.18倍
令和2 1.13倍
令和3 0.87倍
令和4 1.04倍
令和5 0.99倍
令和6 0.86倍
令和7 0.96倍
もともとそれほど高かったわけではないが令和3年度入試以降は定員割れからのスタートが常態化している。
第1回で1倍に届かないことに慣れてしまっている。
受験生もそうだし、塾の先生もそうだし、肝心の熊谷高校の先生方も、「今年もか」と驚かない。
はたしてこの状態から脱することができるかどうか。
共学化するとか、中高一貫化するとか、究極の打開策も考えられるわけだが、定員にさえ届かない状態では何をやっても無駄である。
とにかく第1回での1倍超えを目指してもらいたい。
◆20年前と比べてはいけないが
今春の大学入試では、国公立合格80人(うち現役56人)、医学部医学科2人、早慶上理合格53人(うち現役45人)を達成している。
まあ立派なものだ。
しかし20年前の熊高はこんなものではなかった。
私の手元に20年前、すなわち2005年の大学入試結果データが残っている。2003年に通学区制が廃止されているから、学区制時代のほぼ最後の卒業生ということになるかもしれない。
例えば、2005年(20年前)の国公立合格者は現浪合わせて120人だった。今年の80人も素晴らしいがこんなものではなかった。
中身もすごい。
左が2005年(20年前)、右が2025年(今年)。
北海道大 6人 3人
東北大 6人 5人
東京大 2人 0人
名古屋大 5人 0人
京都大 3人 1人
大阪大 0人 1人
九州大 1人 0人
一橋大 1人 1人
東京科学 5人 1人
「旧帝+一橋東科」は20年前が29人、今年が12人。
当時は1学年360人だったことを考慮してもダブルスコア以上の開きだ。
私立も見てみよう。
早稲田大 52人 16人
慶応大 23人 6人
上智大 13人 11人
東京理科大 66人 20人
今年は合計53人だったが20年前は154人。
(GMARCHは省略)
なぜこのようになったか。
よく言われているように学区制撤廃で他地区の有力校に上位生を奪われているからだろう。また、私立の台頭も考慮に入れなければならない。
難関国公立に受かるような生徒が昔より10人か15人少ない。早慶上理の合格数を伸ばしてくれるような生徒が昔より20人か30人少ない。
生徒募集上の課題はここだ。
ただ倍率が上がればいいというものではない。
熊谷市を中心とした地域のトップオブトップの男子にどれだけ選ばれるかが問題なのだ。
これから説明会等が本格化するが、そのあたりを意識したプレゼンが求められるのではないか。
今日の説明会は、大人相手かつプロ相手だから特別に難しく考える必要はなかったと思うが、生徒向け説明会では成績優秀な男子中学生とその親に刺さるのはどんな言葉なのかをよく考えたほうがいい。
2025-06-04 at 21:05
私の友人、知人、従兄、叔父が、こちらの卒業生です。1978年の埼玉県の公立高校は、学区制度が厳しくなり、埼玉県北部からは、県立浦和高校の受験が、不可となりました。
その反動?から、その年に、入学された方々は非常に、優秀な方が多く、、主なところでは、入試最難関の、東大理3に、2名(いずれも一浪)。東大文1に現役入学された方は、
大蔵省(現、財務省)のキャリア官僚となられました。
私の1学年上の方(1985年卒業)の方は、
東大理3に合格されました。(予備校が、一緒でした。)
いずれにせよ、熊谷高校のレベルが下がると、その次の高校は、(私の卒業した高校などは、、)もっとレベルが下がってしまいます。
僭越ですが、埼玉県北部が抱えている諸々の問題が、この事にも反映されているように、考えます。
2025-06-10 at 21:18
学区制が変わったのは1979年からで、県北からの生徒募集に限定されて、その後熊谷高校のレベルは若干下がりました。
1978年入学生が優秀だったのは、大宮など県南からも優秀な生徒が集まっていた最後の年だったからなのです。その学年に属していましたが、確かに理3に2人合格していますね。
そのうちの1人は、怖くて有名な数学の宮下先生にテストの解答が完璧だ、自分には1時間でこの解答は作れない、と褒められていました。
2025-06-11 at 11:44
※訂正
宮下でなく宮坂先生でした
2025-06-05 at 06:07
県北住みです。熊谷高校が募集困難なのは少子化だけでは無く、最近は地方国立を勧める傾向があるようなので(ホームページのみの印象ですが)、それが原因で何となく敬遠されているのかと思います。
2025-06-05 at 21:51
先日、総会と懇談会に参加しましたが、地方国公立を推してるというより、今はそっちが穴場だよ!という話で何が何でも国公立という話ではなかったです。
まあ、理系志望なら私立の授業料を考えると十分検討に値する話でした。
話は変わりますが、北部は他の地域に比べて子供の数が少なく、一昨年にはその年の中卒生が5000人を割り込んでいる状態です。
偏差値60が上位16%なので、それ以上の子は800人居るか居ないかです。
熊高、熊女、熊西で定員320×3=960なので、これから子供が増える可能性が低いことを考えると3校を共学2校に再編し、とりあえず360×2=720まで定員を減らせば、越谷北、越ヶ谷や所沢北、所沢みたいにどいらか1校は65レベルに戻せるかもしれません。
OB、OGの方には悪いですが、県が共学化の方針に舵を切ったのですから、逆に第一号の再編校になり、代わりに目玉になるような条件(付属中併設とか移転して最新設備の校舎にするとか理系探求科などスーパー理数科みたいなのを作るとか)を引き出した方が良いのではないでしょうか?
2025-06-06 at 07:55
埼玉県北の本庄高校の卒業生です。
自分が高校生だった昭和50年代当時の
この地域No.1は熊谷高校(通称くまこう)で
自分も目指していましたが、
今はここまで落ちぶれてしまっていたのですね…
2025-06-10 at 13:00
名門高校にあぐらをかいて、努力を怠ったということでしょうか。
45年ほど前に在籍していましたが、校内模試の英語は、200点満点で60点以上取れば東大合格できると言われるほど難易度の高い問題を出していました。平均点は20点台、自分で情報収集して受験勉強を進められるタイプは鍛えられたと思いますが、ボーッとしている自分のような人間には受験勉強をどうやったら良いのか、全くわからない状況になっていました。その後、浪人して予備校で初めて受験勉強の仕方を知ることとなります。
生徒の能力の高かった時代にはそれでも良かったのでしょうが、私立高校が手取り足取り受験指導をして徐々に実績を上げていったのに対して、公立高校はその努力をしなかった。
進学校の評価は大学進学実績で決まるのに、そこから目を背けて努力を怠ったと言えるのではないだろうか。若しくは指導体制が一本化されなかったのか。進学実績を上げるのが良いとか悪いとかの問題ではない。人気商売というものは常に競争に勝たなくてはならないし、努力を怠れば凋落していくものだと思う。