長嶋茂雄氏逝去。
 享年89。
 朝、ネットニュースで知り、驚いた。
 が、年齢的に見れば、いつやって来てもおかしくないその日が、今日だったということだ。

 長嶋茂雄選手は1936年(昭和11年)、千葉県に生まれた。
 昭和の大スター・石原裕次郎は1934年生まれ、美空ひばりは1937年生まれ。
 生まれ年の近い三人は、昭和の三大スターと言っていいが、石原裕次郎と美空ひばりは50代の若さでこの世を去っている。

 六大学野球のスターだった。
 ちなみに本日、母校・立教大学のホームページには訃報に接しての総長談話が掲載されている。
 長嶋茂雄さんの訃報に際して(総長談話)【立教大学ホームページ】
 卒業生が亡くなったからといってその都度追悼メッセージは出さないだろうから、やはり長嶋茂雄は特別な人なのだ。

 後に知ったことだが、日本のプロ野球に人々が関心を持つようになったのは長嶋茂雄が巨人軍に入団したからだそうだ。
 当時は野球と言えば東京六大学野球で、プロの方は職業野球と呼ばれ、一段低く見られ人気もなかったらしい。
 それが長嶋茂雄の入団により一気に人気スポーツになった。
 そう考えると、イチロー選手や大谷翔平選手もすごいが、野球で飯を食って行ける世の中を築いた長嶋茂雄選手は、別格のすごさだ。

 長嶋茂雄選手の巨人軍入団は1958年(昭和33年)のことだ。
 長嶋はルーキーイヤーから不動のレギュラーとして活躍した。
 その年、セ・リーグ優勝を果たした巨人軍は鉄腕・稲尾を擁する西鉄ライオンズと日本シリーズを戦っているが、これが野球というものを見た最初の記憶だ。
 テレビがある家庭はまだ少なく、近くのちょっと裕福な家でちらりと見た。
 それですぐに野球を始めるようなことはなかったが、長嶋の活躍で野球人気が高まり、子供たちの遊びの中に野球が入り込んできた。

 以来、野球ファン、巨人ファン、そして長嶋茂雄ファンとなるのだが、間の思い出話は全部すっ飛ばして1974年である。
 この年の10月14日。
 対中日ドラゴンズ戦ダブルヘッダーは長嶋茂雄選手の現役最後の試合となった。
 場所は後楽園球場(ここを取り壊して今の東京ドームができた)。
 私はライト側外野席でこの試合を観戦した。
 これだけは見ておきたいと思ったわけだが、今もこれだけは見ておいて良かったと思っている。
 試合後、かれは外野フェンスに沿って場内を一周した。
 目の前を通り過ぎる長嶋茂雄選手に、観客全員が思いっきり「ナガシマー」と声援を贈った。

 監督になってからの長嶋茂雄も、もちろん応援したが、選手の時ほどではなかったと思う。
 「4番サード長嶋」が好きだった。