卒業アルバム、略して「卒アル」。
 あればあったで楽しいが、これはもう廃止(=制作中止)でいいのではないか。

 割と最近の話だ。
 よみうり進学メディアの取材で大宮南高校に行った。
 教員としての在籍は僅か3年だったが、自分にとってはたった2つしかない勤務校の一つだ。
 すでに35年の月日が経っているが、あそこにもここにも、いろんな思い出が詰まっている学校だ。

 取材の合間に校長先生が昔の卒業アルバムを出してきてくれた。
 教員の写真の中にまだ30代の自分が写っていた。
 「今とあんまり変わらんな」。
 なんてことがあるはずもなく、まるで別人のようなまだ30代の私がそこにいた。
 こんな場面で卒アルはちょっとした話題を提供してくれる。

 さてそこで、今日の話題。
「卒業アルバム」がなくなる日 性的加工、情報流出リスク 存続求める声強く、進化模索も(7月30日 産経新聞)

 卒アルに掲載された写真が生成AIで性的な画像に加工されSNSで拡散されたり、卒アル制作の関連会社がサイバー攻撃を受ける被害も相次いでいる。こうしたリスクの回避や教師の負担軽減の観点から、一部で卒アル廃止を検討する動きが出始めているというニュースである。

 悲しいかな先生が児童生徒を盗撮してしまう時代である。卒アルを廃止したからといって何が変わるのかと思うが、ここに今や絶対的なカードとなった「教員の働き方改革」をからめれば徐々に廃止の方向に進むのではないだろうか。
 8割以上の保護者が「なくさないで欲しい」と考えているという調査結果もあるようだが、少なくとも、あの重くてでっかい卒アルの時代ではないな。

◆10年前、廃止にチャレンジするが
 今から約15年前。いくつかの学校に「卒アルのDVD化企画」を提案した。
 もはや紙のアルバムの時代じゃないないだろうというわけである。

 この提案は半分通った。
 半分というのは、DVDに収める案は通ったが、ページ数を減らした上で、紙のアルバムも残すという折衷案に落ち着いたからだ。
 当時はDVDよりも紙の方が信頼度が高かったのだ。
 しかし、世の中の進歩は早く、今や「DVDって何よ?」という時代となり、パソコンで見ることすらできない。(そう考えると紙は強いな)

◆1億総カメラマンの時代
 今や70代、80代の高齢者から小学生まで、誰も日常的に写真を撮る時代である。もちろん動画も。
 こんな時代の到来を誰が予想しただろうか。

 値段もそれなりに高くずっしり重たいカメラと、消耗品ながら結構値の張るフィルムがなければ写真は撮れなかった。
 であるから写真を撮れる人というのは限られていた。
 しかし今は1億総カメラマンの時代。
 画像の悪用云々は別として、卒アルのあり方を再考する時期が来ているのではないだろうか。