えっ、逆じゃないの、と思われた方。
 間違いではないよ。これからはアナログなのだ。
 いや、より正確に言えば、アナログ回帰、あるいはアナログ見直しの時期に入る。
 
 文部科学省がGIGAスクール構想を開始したのは2019年(令和元年)のことだ。
 GIGAは「Global and Innovation Gateway for All」。
 「みんなのための世界と革新への入口」ってことだ。
 具体的には、児童生徒1人1台の学習用端末と、高速大容量の通信ネットワークを学校に整備し、教育の質を向上させることを目指す文部科学省の取り組み。
 産業界の後押しがないと実現しないから経済産業省や総務省などの強力バックアップがあったと想像する。
 構想について最初は「何だよ」という空気もあったが、結果としてコロナ禍が展開を早めた。

 GIGAスクール構想は小中が対象で高校は取り残された形となったがすぐに追いかけた。
 生徒にタブレットや小型パソコンを持たせ、WiFi回線を引き、プロジェクターや電子黒板などを配備した。
 これらを駆使した授業が最先端ということで各校そのあたりを強力アピールした。

 タブレットなど電子機器は便利であるからこれを使わない手はないだろう。
 先生も今さら黒板とチョークとプリントの授業には戻れんだろう。
 生徒にしたって鉛筆とノートの勉強に戻りたくない。
 電子機器の利用があればこその新しい学習法も開発されたことだし、これはこれで推し進めることでいいだろう。

 ただ、皆さんもうすうす感じているとは思うが、手段の目的化という現象が随所で起こっているのではないか。
 本当は時間がかかっても先生が黒板に手書きのほうがいいのだが。
 また、生徒もノートに手書きの方がいいのだが。
 だが、これでは世間の同意を得られない。
 なにを前時代的な授業やってるんだ。
 「遅れた学校」
 そう責められるので不本意ながら電子機器を使う。
 かくして、「タブレット使ってりゃ文句ないだろ」とばかりに、使うことが目的の授業が始まる。

 が、一定の環境が整備された今、もう設備面の優劣を論じても始まらない。
 授業法、学習法も、みんなが同じアプリを使うようになり差別化が容易ではなくなった。

 さあ、そうなると何が始まるか。
 アナログの再評価である。

 あえてアナログ。
 機器はある。
 それは使える。
 だけど、時と場合で、あえて昔ながらの手法をとる。
 それが本校のスタイル。
 
 ただし、これはただ昔に戻ることを意味しない。
 もちろん「昔は良かった」という郷愁でもない。
 本来捨てないほうが良かったのに、捨ててしまったものがあるのではないか。
 という警鐘を鳴らしているのだ。

 私の予感が正しければ、近く、あえてアナログが価値を持つ時代となる。