今日は「母の日」。
 この日を同窓会の日としている学校があるという。
 「母の日」だから「母校に帰る日」。
 というわけで今日は同窓会をめぐる雑談。

◆同窓会が持つ不思議な力
 伝統校や名門校と呼ばれる学校には、独特の空気がある。卒業して何十年経っても母校に足を運ぶ卒業生がいて、年齢差を超えて先輩・後輩が結びついている。同期の横のつながりだけでなく、世代を超えた縦の結びつきが強い。

 一方、比較的新しい学校では、そこまで強固な同窓ネットワークを持つ例は多くない。創立50年といえば決して短い歴史ではないが、それでも「伝統校の壁」は厚い。
 
 もちろん、時間の蓄積は重要である。百年単位の学校には、地域社会の中に卒業生が何層も存在している。役所、企業、学校、医療機関、議会など、あらゆる場所にOB・OGがいる。だから「先輩が後輩を支える」構図が自然に生まれる。

 では、時間が経過すれば強い同窓会が生まれるかというと、そういうわけではない。歴史があっても同窓会活動が停滞している学校はいくらでもある。逆に、比較的新しい学校でも、卒業生の結束が強い例は存在する。
 つまり、同窓会とは自然発生するものではなく、学校文化として「育てる」ものなのである。

◆在学中から始まる組織づくり 
 強い同窓組織を持つ学校は、在学中からその土壌を作っている。
 たとえば、卒業生講演会、OB・OGによる進路相談、部活動のOB戦、文化祭への卒業生参加などである。現役生が「卒業してもこの学校との関係は続くのだ」と感じられる学校は強い。

 逆に、卒業式の日を境に学校との接点が切れる学校では、縦のつながりは育ちにくい。

 興味深いのは、伝統校ほど「卒業生を学校の一員」として扱っている点である。学校案内に卒業生を登場させたり、周年事業に積極的に関わってもらったり、進路指導や探究活動に協力してもらったりする。卒業生が学校文化の継承者になっている。

 これは大学では比較的当たり前の感覚である。大学にとって卒業生は、寄付者であり支援者であり、ブランド形成者でもある。しかし高校では、まだ「卒業したら終わり」という発想が強い。
 だが、高校においても本来は同じであろう。

◆「学校らしさ」が人を結びつける
 もう一つ重要なのは、「この学校は何者なのか」を学校自身が語れているかどうかである。
 伝統校には、良くも悪くも強い物語がある。

 自由な校風、質実剛健、文武両道、地域貢献、挑戦する文化等々。
 「うちの学校らしさ(わが校らしさ)」が明確である。そして卒業生は、その物語の一部として自分を位置づける。だから母校への誇りが生まれる。

 逆に、新しい学校は、その物語がまだ弱い。特に近年は学校再編や統廃合、校名変更も多く、文化の連続性が断ち切られやすい。「〇〇高校とは何なのか」が曖昧になると、卒業生の帰属意識も弱くなる。
 偏差値や進学実績だけでは、人は長く結びつかない。数値は更新されるが、文化は蓄積されるのだ。

◆「戻る理由」を作れるか
 今の時代、かつてより同窓会運営が難しい。
 進学や就職で地域を離れる人は増え、地元定着率は低下した。SNSによって同期との横のつながりは維持しやすくなった一方、学校単位の縦組織は弱くなりやすい。

 そこで、学校側が「戻る理由」を意図的に設計する必要がある。

 ホームカミングデー、文化祭招待、現役生支援、キャリア講演、SNSコミュニティ、学校広報への協力など、卒業生が関わり続けられる導線を増やすのである。
 特に若い世代は、「宴会型同窓会」だけでは動かない。「自分が役に立てる」「後輩を支援できる」という実感が重要になる。
 つまり、同窓会とは単なる親睦団体ではなく、学校と卒業生が相互に支え合うプラットフォームなのである。

◆学校のサステイナビリティという視点から
 少子化時代に入り、学校は「存在し続ける理由」を問われるようになった。
 公立であっても、私立であっても、学校は地域社会の支持なしには存続できない。(これについては、このブログでも繰り返し述べている)

 さて、そうなった時、卒業生の存在は極めて大きい。
 卒業生は、学校の理解者であり、応援者であり、時には学校を社会へ接続する橋渡し役にもなる。学校の評判やブランド形成にも大きく関与する。
 
 同窓会とは、単なる昔話の場ではない。学校の持続可能性を支える重要な社会資本なのである。
 伝統校が強いのは、その長い歴史の中で、「卒業しても母校との関係が続く文化」を作り続けてきたからだろう。

 同窓会は、いつか自然にできるものではない。
 学校が育て、卒業生が受け継ぎ、世代を超えて編み上げていくものなのである。