和光国際高校の教育関係者対象説明会に行ってきた。
 ふだんは車を使うのだが今日は電車を選択。最寄駅は東武東上線「和光市駅」。学校案内には徒歩17分とあるが国道254号線の信号待ちが長かったのと、日差しが強く暑かったのとで、22~23分くらいかかったかもしれない。
 学校の隣地は和光樹林公園。閑静かつ緑豊かな環境だ。

◆県内初の国際科
 今年4月、再編により新しい学校となった。と言っても、校名は引き続き「和光国際高校」である。
 かつての外国語科は国際科と名前を変えた。埼玉県では初の、そして唯一の国際科である。なお、この度の再編により、岩槻高校と秩父高校に国際教養科という国際関係の新学科が誕生している。

◆「最先端」ではなく「最尖端」
 この学校への期待は「最先端」ならぬ「最尖端」の学校たれということだ。
 先端も尖端も似たような言葉であるが、「尖った」というところが重要なのだ。公立学校の宿命で、特色化だ、個性化だ、魅力化だと口では言いながら、結局は四方八方に配慮し、おまけに予算の縛りもきつくて、どうしても平均的な学校づくりになってしまう。
 当初、企画・設計段階では結構尖がっていたのだが、気が付いたら角がとれて丸くなってしまう。公立が私立に負ける一つの原因はここにある。
 この「尖がった」というのは、奇をてらうというのとは違う。先端の言い換えとしての尖端なのであるから、シャープさや切れ味を増して欲しいということだ。

◆「国際」という言葉のインフレの中で
 今や「国際」を冠する学校や学科は珍しくない。どの学校のパンフレットを開いても、ネイティブ講師との交流や海外研修、オンライン英会話の導入といった文字が躍る。
 しかし、その多くが「英語が話せるようになること」をゴールに設定しているように見えてならない。
 言うまでもないことだが、語学はあくまでツールである。そのツールを使って何を表現し、どんな価値を社会に提示するのか。そこまで踏み込んでこそ、本来の国際教育といえる。

 新生・和光国際の「国際科」には、単なる語学教育を超えた「尖り」が必要だ。埼玉県内で唯一の名称を背負うのであれば、他の高校が二の足を踏むような徹底したプログラムを期待したい。
 単なる異文化理解にとどまらず、地政学的な視点や国際経済のダイナミズムを、英語「を」学ぶのではなく英語「で」徹底的に議論する場。あるいは、正解のない国際紛争や環境問題をテーマに、数日間かけて結論を導き出すクリティカル・シンキングの訓練。そうした「知的な負荷」こそが、生徒の感性を研ぎ澄ますことになり、良い意味で「尖った」人材の輩出につながる。

◆エッジの効いた教育を
 和光国際の良さは、自由な校風にある。校内を回っていみると「管理されている感」が薄いことに気づかされる。この「自由な校風」という土壌は、尖った個性を育てるための絶対条件だ。
 ただ、自由は往々にして放任と履き違えられる。真に尖った集団とは、強固な地盤(つまり基礎基本)の上に独自の創造性を積み上げた集団である。基礎がなければ、それはただの「不定形」であって「尖った形」ではない。

 今回の再編で、岩槻や秩父にも国際系の学科が新設された。これは埼玉県全体として国際教育の底上げを図る動きだろう。だが、先陣を切る和光国際が平均化の波に飲まれてしまっては、後に続く学校の指標が失われてしまう。

 「公立だからここまでしかできない」という言い訳を、和光国際にはしてほしくない。予算や制度の制約があるのは百も承知だ。しかし、教員の情熱や外部リソースとの連携、そして何より「生徒の志」を高く設定することに予算はかからない。埼玉県立の「尖端」として、私立進学校や都内の国際系高校が驚くような、エッジの効いた教育を実践してほしいものである。