学校選びの際、評判が気になるという人がいる。分かるよ、その気持ち。Amazonや楽天で買い物する時だって、ついつい気になってレビューを見てしまう。そして、見れば見るほど頭が混乱してきて、「今日のところはやめとくか」となってしまうことがある。
この種のレビューの厄介なところは、実際に購入した後に眺めてみると、良くも悪くも結構当たっている場合が多いことだ。
全部ウソとも言えないが、全部ホントとも言えない。
それでも、過去に何度か購入していて、それなりの商品知識がある物ならまだいい。
それだったら、他人の評判など気にせず、スペックだけ見て、ホイっと購入することができる。
しかも、値段は数千円から数万円程度だ。
数万円は大金だが、ちょっと経てば忘れることができるし、その経験を活かして、次はもっとましな買い物ができる。
だが、学校選びはそうは行かない。
基本返品ができない買い物で、価格も桁違いだ。
大袈裟に言えば、人生ただ一度の選択であるから慎重の上にも慎重を期すべきで、だからこそ他人の評判も気になるのである。
よくネットの評判は気にするなという人がいるが、これはなかなか難しいところだ。
ある学校のことをとても良く書いている人がいる一方、糞みそに書いている人がいる。
で、このように正反対のことを書いているが、実はある点において両者は共通し、きわめて似通っているのである。
サイレントマジョリティーという言葉がある。
「モノ言わぬ多数派」「静かな多数派」。
世の中の多くの人は、思っていても実際には発言しない。
言ったり書いたりが苦手。
不満はあるがわざわざ世界に向かって発言するほどではない。
満足しているが、他人に同調を求めるほどではない。
よく分かんない。
といった様々な理由で、表立った発言はしない。
そういう人がほとんどなのだ。
それに対し、口コミサイトやレビューに投稿する人は、サイレントマジョリティーの反対で「ノイジーマイノリティ」である。
「声の大きな少数派」。
かれらは発言したい人である。
そして発言を評価されたい人である。
いま、「かれら」と他人事のように書いたが、そういう私も発言したい人である。
そうじゃなきゃ、毎日ブログなんぞ書くか。
他人の評判が気になって仕方ないと嘆いている皆さん。
実は評判を立てている本人が、あなた方とは比較にならないぐらい他人の評判を気にしているのだ。
そのような過度に自分の評判を気にしている人の意見に振り回されるのは、馬鹿馬鹿しいことだ。
良い評判を書いている人も、悪い評判を書いている人も、別に嘘は書いていない。
自分が思ったとおりに書いているだけだ。
うまく行ったと思っている人は、他人にも同じ喜びを与えたいと思っているのだろう。
自分が失敗したと思っている人は、他人に同じ失敗をさせてはいけないという親切心から書いているかもしれない。
中には腹いせのために、ストレス発散のために、あるいは復讐のために書いている人もいるかもしれないが、まあ、少数派のなかの少数派だろう。
ネットの口コミや評判は主に匿名であるから、その人の背景が分からない。
知り合いであれば、あの人ならそう言うだろうなということで、適度に割り増しするか割引するかして聞けばいいのだが、匿名ではそれができない。
結局は、信じるも信じないもあなた次第ということになる。
ものごとの感じ方は人それぞれである。
校則は一つだが、それを厳しいと感じる人がいれば、緩いと感じる人もいる。
先生が熱心で尊敬できると言う人がいれば、先生はどうしようもないクズばかりだと言う人もいる。
どちらが正しいかという問題ではなく、感じ方の問題だ。
あなたがどちらに共感しようとそれは自由だ。
どっちも適当に聞き流すという選択肢もある。
私のおススメ対処法。
声のデカイやつが言いたい放題しているくらいに思うこと。
無理にどちらかを信用しようと思わないこと。
悪い評判の中にも多少の真実が含まれているかもしれないと用心すること。
余りにも良すぎる評判にも何か裏があるかもしれないと警戒を緩めないこと。
以上、発言したい人の言い分である。
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