入試に関係あるような、ないような、いや、たぶんないだろうなという話を一席。
つい最近、私がブチ切れた話だ。
7、8人で会合を持とうという他愛のない話であるが、コロナ下ということもあり、会合の持ち方、場所、日時等なかなか難しい。
それでも世話役の私は、ない頭をひねってABニ案にまとめ、そのどちらかでいかがかと皆に尋ねた。
ほとんどの人は一方を選択し即答してきた。
ところが、中の一人が「C案もあるんじゃないですか」と言ってきた。
メールのやり取りだから本音は見えにくいが、さも名案だろうと言いたげなところが腹立たしい。
あのな、今話をまとめようとしてるときなんだよ。
ようやく二択(二者択一)まで漕ぎつけて、あともう一息というところなのに、振出しに戻すんじゃねえ。
そりゃあ、私にだって第三案どころか第四案だって第五案だってあるよ。
気づいたのはオマエだけじゃない。
ただ、それを言い出すと、話が面倒になるだけでいつまでも決まらないから、二つに絞っただけなんだよ。
さあ、こうなると予想通りの展開が待っている。
別の一人が、「C案、それもいいね」と言ってきた。
テメエさっきA案に賛成って回答してきただろう。
そして、これに勢いを得た別の一人が、「だったらD案というのも考えられますね」と言い出した。
勝手にしやがれ。
いいか。もう一回言うが今は話をまとめようとしているんだ。
何が正しいかなんて誰も分からない。
やってみなければ分からない。
いや、やってみても分からないかもしれない。
それでも何がしかの答えを出さなければならない。
答えを出さなければ、実行できないではないか。
今はそういう場面なのだ。
実行のときは迫っている。
イコール決断の時は迫っている。
そういう時に、選択肢を広げてはいけない。
思いついてもそれは言わない。
で、結局この話はどうなったかというと、意見がまとまらず流会(中止)ということになった。
馬鹿馬鹿しい。
無駄に知恵のあるやつが、時と場合をわきまえず、それを出してきて、まとまるはずの話をぶち壊した。
そして気の短い私はブチ切れた。
というように、いい大人たちも、年中こんなことをやっている。
世の中では、イエスかノーか、AかBか、といった二択の考え方は、あまり良くないものとされている。
しかしそれは、話の中身にもよる。または時と場合による。
山に登っている時、頂上目前にして雲行きが少し危うくなった。
そのまま上を目指すか、あるいは今日のところは諦めて下に降りるか。
この二択しかない。
が、しばしばここで「もう少し様子を見よう」という意見が出てくる。
二択で悩んでいるものが三択になった。
これで判断ミスの可能性が高まってしまった。
山での判断ミスは死につながる。
一見名案かと思われる第三案にはそういう危険が潜んでいる。
受験生の皆さんの志願先選びも、事ここに至れば、すでに一択、そうでなくても二択までには絞られているだろう。
この期に及んで3つも4つもの学校で迷っている人はそう多くはないだろう。
二択になれば話は簡単だ。
この時期になると倍率というファクターが加わってくるので、それが迷いを生じさせる要因となる。
しかし一方、倍率というファクターがあることで話を単純化できる。
つまりその場合は、「受けたい」か「受かりたい」かの二択になる。
「受けたい」を選ぶならば、当然ながら落ちることも覚悟しなければならない。
「受かりたい」を選ぶなら、あこがれは断ち切らねばならない。
だがここに「受けたい」と「受かりたい」の両方をかなえる第三案を持ち込もうとすると話が面倒になる。
一見最良の案と見える第三案は、時に最悪の案となることもある。
「受けたい」で選ぶのか、「受かりたい」で選ぶのか、第三案は無いものとして、二択で選ぶことをお勧めする。
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