学校の先生が言うと大問題になるが、元先生ならいいだろう。イジメ問題を学校のせいにするな。これだけ大騒ぎして、それでも減るどころか増える一方なのは考える視点が違っているのだ。
 学校はさまざまないじめ対策を講じている。国はいじめ防止対策推進法まで制定した。それでもなくならない。まだまだやり方が手ぬるいのか。いや、そうじゃない。現状考えられることはすべてやっている。

 ウソだろう。
 と、さまざまな事例を挙げて学校や先生、あるいは行政の不備を突いてくる人が大勢いるのは想定内だ。だが、申し訳ないが先生はスーパーマンじゃない。先生の仕事なんて私のような並みの人間でも何とかつとまってしまうのだから、そこに集う人々は、世の中のどこにでもいるようなごく普通の人間と考えたほうがいい。いじめ撲滅は先生の手に余る。

 いじめっ子は誰が作ったんだ
 いじめっ子を増産して学校に送り込んでくるのは誰なんだ。
 いじめっ子が学校に来ればそこにいじめ問題が起こるのは自明ではないか。

 いじめは元から絶たなきゃダメ

 いじめを学校や先生や行政の責に帰し、以ってこれを全面解決に導こうという考え方。最大の問題はここにある。

 本ブログの読者は、ほとんどが先生と呼ばれる職業に就いている人か、かつてそうであった人だろう。そのことを前提に書いている。それ以外の人が読んだら、「何をぬかすこのクソ爺、そんなことだからいじめがなくならないのだ」となるのは必定だ。
 だったら、それは覚悟でもう一言付け加えよう。

 子供の教育を学校に丸投げするんじゃない

 子供を真っ当な人間に育てる責任は第一義的には親にある。家庭にある。弱い者いじめするなってことは、学校じゃなきゃ教えられないことか。特殊な能力を持っていなきゃ教えられないことか。
 そうじゃないだろう。大人だったら誰だって教えられることだ。

 しつこく言う。
 いじめっ子は学校が生み出したわけじゃない
 いじめ病の病原菌を持った子供が学校という環境を得て発症したのである。学校にできることは発症を防ぐ環境を作るところまでだ。

 しかし、である。
 親が学校を責め、学校が親を責めていたのでは一向に解決に向かわない。対立は解決を遅らせるだけだ。

 もし私が担任だったら。
 親に言う。「世の中全体を変えるような力は私にはない。ただ、せめてこのクラスからだけはいじめは撲滅しようと思っているし、それならできそうな気がする。ただし、それとて私個人の力では限界がある。ぜひ皆さんのお力をお借りしたい」と頭を下げる。
 生徒に言う。「いいかお前ら、俺は弱い者いじめが一番嫌いだ。見つけたらただじゃおかねえ。ボコボコもしてやる。世の中で必要なことはただ一つ『弱い者は守る、困っている人は助ける』、これだけだ。勉強ができるかどうかなんてことは、それに比べりゃ屁みたいなもんだ」