スルーがトレンドワードになっているようだ。忘年会スルーや年賀状スルー。要は忘年会離れや年賀状離れなのであるが、スルーと付けると何やら新しさが出てくるから不思議なものだ。
 慌て者はこの波に乗り遅れてはならじと深く考えもせず単にスルーしてしまい、「俺、今年の忘年会全部スルーしてやったぜ!」と悦に入っているが、後で大きな代償を払うことになるかもしれない。

 繰り返し言っているように私は飲み会を好まない。だが、誘われた忘年会はすべて出ている。回数が少ないのは友達の少なさが原因であって、意図的に忘年会スルーをしているわけではない。
 私がスルーしているのではなく、私がスルーされているのかもしれないが、だったらそれでもいい。

 個人的には年末のクソ忙しいときの忘年会は勘弁して欲しいと思っているし、旧態依然たる飲み会スタイルにも辟易しているが、では、忘年会に代表される飲み会すべてを否定しているかと言えば、必ずしもそうでもない。
 今、やり玉に上がっているのが職場の忘年会で、これをスルーするのが新しく、カッコイイみたいな形で報じられているが、裏を返せば、一緒に飲み食いしたくないような連中と普段仕事をしているという解釈も成り立つわけで、これはこれで不幸であり残念なことだ。

 忘年会スルーが流行るのは、忘年会というイベントそのものに原因があるのか。むろん、それもあるだろう。
 別に夜に限る必要もないし、アルコール抜きでもいい。個人の生活スタイルが尊重される時代だし、共働き夫婦も当たり前になった。介護問題を抱える人も多いだろう。ここだけ昭和というわけにも行かないのだ。習慣や慣例というものは時と共に変化すべきである。

 忘年会スルーの原因がイベントの形式や内容にあるのなら、ある意味解決は容易だが、職場の上司や同僚と飲み食いしたくないが故のスルーだとしたら、これはちょっと深刻だ。
 仕事とプライベートは分けたいというのはいいだろう。
 だが、忘年会なんぞ年中やるものではない。それすらもスルーしたいというのであれば、日ごろの人間関係がよほど悪いのではないかと心配してしまう。そんな中スルーすれば、さらに関係を悪化させてしまう恐れがある。

 一緒に仕事をしていて楽しければ、たまに一緒に飲み食いするのが苦痛なはずないだろう。そう考えると、忘年会スルーがトレンドになるのは好ましい風潮とは言えない。