経済か命か。この二択だと経済とは言いづらい。命を持って来られたら、他のどの言葉も勝ち目はない。命は最強ワードなのだ。
 だから、共に大切だがどうしても一方を選べというなら命だと答えるしかない。

 命が大事だから、そのために経済活動を自粛せよとか規制せよと主張する人は、一体誰の命を守れと言っているのか。もちろん高齢者だ。年寄りの命だ。
 最初は分からなかったが、若い世代にとってコロナは死に至る病でないことがはっきりした。死の危険があるのは年寄りだけだ。
 そこまで年寄りの命を心配してくれてありがとう。と、高齢者の一人として言っておこう。

 経済活動を自粛したり規制したりすると、弱者からバタバタ倒れて行く。中には自ら死を選ぶ人も出てくるかもしれない。
 教育関係に限れば、公立学校(=公務員)は自粛や規制により経済的に困窮する心配はない。私立学校は多少影響を受けるだろうが、直ちに窮地に追い込まれることはない。4月以降給料をもらえてないとか半減したという先生はいないだろう。
 だが、民間教育ではすでにそのような現象が起きている。塾やテスト、出版、教材などに関わる会社で売上が前年並みという会社や個人は聞いたことがない。それらの会社や個人にとって経済活動は命と同義である。

 中小零細の会社個人にとって経済活動は自らの命を守る行動だ。
 だから、経済か命かというのは、命か命かと問われているのに等しい。
 前者の命は、現役世代の命、特に経済的に弱い立場にある者の命だ。
 後者の命は、前述したように社会の第一線を退いた高齢者世代の命だ。
 子供たちの命は、どっちにも入っていない。死んでもいいわけではない。死ぬ心配がないのだ。その意味でこの場合、どちらにも属さない。

 経済か命かというのは、現役世代かつ経済的立場が弱い人々の命か、老い先短い高齢者の命かという問いである。また、少子化で人数の少ない世代の命か、団塊含む多数派世代の命かと言い換えることもできる。さらに、不安定な経済弱者の命か、安定した年金世代の命かと言い換えることも可能だ。

 社会全体の犠牲を考えれば、現役世代を優先したほうが良さそうなものだが、そうならないのは、政府与党が高齢者の票と大企業の資金に支えられていることと、マスコミが高齢者の視聴と大企業のスポンサードに支えられているためだろう。本来なら野党が経済的弱者の命を守れと言うべきなのに、かれらもまた高齢者頼みだから後者の命が最優先だと言う。
 困ったことだ。