もう一度、甲子園で南こうせつ聞きたかったね。残念!
 えっ、それ何の話?
 そうだね、高校野球ファンや年中SNSやってる人以外は分からんかもしれない。

 今日のセンバツ高校野球決勝戦。
 優勝は東海大相模だったが、惜しくも敗れた明豊(大分県)。
 この学校の校歌の作曲者が南こうせつで、明豊が勝つたびに、こうせつさん本人が歌う校歌が流れる。

 明豊は二つの学校が合併して出来た学校で、まだ20年ちょっとしか経っていない。
 新しい学校が出来る際に地元出身(県立大分舞鶴高校出身)の南こうせつさんに作曲を依頼したということだ。
 作詞はこうせつさんの奥さん。

 作詞は喜多条忠さんか伊勢正三さんという手もあったよな。
 というのは、私たち以上の世代じゃないと分からない話だ。

 こうせつさんは、私より2~3歳上だから、ほぼ同世代。
 「神田川」が大ヒットしたのは1973年。
 第一次オイルショックのあった年だ。
 当時は「かぐや姫」というグループで活動していた。
 ちなみにその頃、私は大学生だった。

 あの、こうせつさんの歌声をまさか甲子園で聞けるとは思わなかったね。

 中高生にこんな話をしたら、そんな昔話聞きたくねえって言われるだろうね。
 でもね。
 いま君らが大好きな歌手がいるだろ。
 歌うだけじゃなく、自分で作る人。
 誰って言われても名前は言えないけど、いるはずだ。
 で、そういう人の歌声を今から半世紀後に聞くわけだよ。50年後にね。
 そうなったら、君らも懐かしい気分で聞くことになると思うよ。

 もっとも、その前に誰かに校歌を作ってもらわなきゃいけない。
 今は新しい学校がどんどん出来る時代じゃないから、統合・合併がチャンスだ。
 最近の例で言うと、3校が合併した川口市立高校だね。
 地元・川口市出身のシンガーソングライター・工藤慎太郎さんの作った「木立の歌」。
 我らが母校ナントカ高校みたいなのと全然違うよ。(HPで聴ける)

 歌は世につれ、世は歌につれと言うけれど、やはり校歌も時代時代で変わるもので、私の母校(高校)などは明治時代に出来た学校なものだから、無茶苦茶スローテンポだし、歌詞も難しい。
 「堅忍不抜の精神」とか「広き宇内に雄飛せん」とか、中学卒業したばかりじゃ読めんし、意味もさっぱり分からん。
 こんなの3年間歌うのかよと思ったが、まあ歌っているうちに愛着がわいてくるもので、今でも同級生や同窓生が集まると、じゃあ校歌で締めようぜとなったりする。

 明豊の校歌にしても、川口市立の校歌にしても、われわれ昔々の人間からすると、何か校歌っぽくないよねとなるのだが、本人たちはそんなことはないのだろう。
 30年、40年、50年後。
 久しぶりに歌うか。
 いずれそう言えるような高校時代と、その後の人生を送ってもらいたいものだ。