先生は生徒たちによく言う。「失敗を恐れるな」。もしかしたら会社の上司も部下に向かって言っているかもしれない。
 が、この言葉を聞いて勇気が湧いてくる子は、たぶんいない。

 では、どうしたら勇気が湧いてくるか。
 簡単なことだ。
 失敗談を話せばいい。
 間抜けな話、情けない話、恥ずかしい話でもいい。
 そうすれば、子供たちは、そんなんでも先生になれるのか、校長先生にもなれるのか、それなら自分でもできそうだと思ってくれる。

 失敗した人間が、いま自分の目の前に立派な人、偉い人として立っている。
 なんだ、失敗しても大丈夫なんだ。
 そう思うに決まっている。
 だから「失敗を恐れるな」と100回言うより、やらかした大失敗を一つ話したほうが早い。

 でもね。人間得てして成功談を語りたくなるのよ。
 年をとると特にね。

 成功談って意外と役に立たない。
 成功するためには、努力が必要なのは当然だが、結構「運」もあるんだ。
 時代にピッタリはまったとか、偶然に条件が整ったとか、自分以外の外的要因で決まることが多いんだね。
 努力なんてものは最後の一押しに過ぎんのだよ。
 それを努力の賜物って話にしてしまったら、聞いてる方は退屈この上ない。

 で、なんで今日はこの話かということなんだが、最近私の前に、かつて超有名企業の社員だったという人々が多数出没するわけだ。
 名前を聞けば、日本人だったら誰でも知っているような一流企業。
 世界を相手に戦ってきた。

 だから、そういう体験を若い人に伝えたいんだってさ。
 うん、年寄りのその気持ち分かるな。
 自分もほぼ同世代だから。

 私は仕事柄、それなりに学校とのパイプを持っているから、講演会みたいな機会を作ってくれないかなとかれらは期待しているようだ。
 いいよ。講演会が実現するかどうかはわからないけど、学校と話をつなぐことぐらいはやってあげる。

 でも、思い出話や成功談や武勇伝は止めてくれ。
 その代わり、失敗談はどれだけ話してくれてもいい。
 失敗談ほど面白いものはない。
 失敗談ほど勇気と自信を与えるものはない。
 それが出来るんだったら、いくらでも学校を紹介してあげる。

 それと、残りの人生5年か10年だと思うが、これから実現したい夢や希望や目標を話してほしい。
 つまり未来の話ね。
 過去じゃないよ。
 「夢を持ちなさい」なんて一言も言う必要はない。
 ひたすら自分の夢を語ればいいんだよ。
 それで、夢を持つことの大切さは十分伝わる。

 かれらは皆、高学歴だし、日本代表みたいな形で世界と渡り合ってきた。
 知識も経験もたっぷりある。
 埼玉の田舎で、地べたを這いずり回るように生きてきた私などとはえらい違いだ。
 きっと、未来を生きる子たちを励ます話が出来るはずだ。

 ただ、自慢話はやめろ。