教え子という言葉、他に何か適当な言い換えはないのか。
 何気なく使ってしまうけど、よくよく考えれば「何か変」。
 でも、他に見つからないからそのまま使わせてもらうが、昨日は教え子たちのクラス会に参加させてもらった。

 なにせ私の教え子であるから、それなりの年齢に達している。
 昨日の元生徒たちは今年で61歳となる。
 「還暦の時にやろうぜ」という話だったが、コロナのため延期したとのことだ。

 私は彼らが高校3年生の時の担任だった。
 弱冠29歳。
 若かったね。

 何を教えたんだろう。
 覚えてないな。
 普通に授業して、普通に担任して、ただそれだけ。
 何も教えていない。
 彼らは自分で考え、自分で決め、自分で行動して、それぞれの人生を生きて来た。

 たまたま担任と生徒として同じ場所で同じ時を過ごした。
 そういう緩やかな、薄い関係ではあるが、これも何かの縁だ、あいつも呼んでやろう。
 その程度のものだが、仲間に入れてくれるだけ有難い。
 先生という職業の特権みたいなものだ。

 最後に集合写真を撮った。
 見た目、元担任も元生徒もあんまり変わらんな。
 いや、別に自分の若さをアピールしようというんじゃない。
 学校を出て、社会でもまれ、子どもを育てと一通りのことをやって60歳ともなれば、みんな似たような見た目となるのだ。

 私の教員生活は決して長くはない。
 それでも、当時の公立高校事情と学校独自の都合により、新任から7年間連続で担任を持ち、そのうち4年間は3年生担任だった。
 そんなわけで、クラス会に呼んでもらえる機会は結構多いのだ。
 有難いことだ。
 
 親は無くても子は育つというが、担任なんぞ、居ても居なくても、どうってことはない。
 むろん中には、生徒たちの人生に大きな影響を与えた先生も大勢いると思うが、自分にはそれはないな。
 それでも仲間に入れてくれるとは、何と優しい元生徒たちなのだ。

 あと5年か10年くらいは生きているかもしれないから、また誘ってくれ。