自民党の松川るい参議院議員に、一部ではさっそく「ルイ16世」などと綽名がつけられているようだ。
 女性ならマリー・アントワネットの方だろうと思うが、どちらにしても最後は処刑されることになっている。

 自民党の女性局が少子化問題などをテーマとする海外研修を企画し、38人が参加した。
 研修すること自体はもちろん問題ない。
 ただ、38人という大人数で訪れて、どれだけ実のある研修ができるかは疑問だ。
 「せっかくだから、あなたも参加してみない? 個人負担も30万円で済むし・・・」くらいのノリで集まったんじゃなかろうか。
 Twitterにエッフェル塔を背景にした写真を投稿し、これが騒ぎの元になったのだが、ゆるゆるの物見遊山なら、アホみたいなポーズの写真もうなずける。

 それにしても、仮にも議員さんなのであるから、そのような写真を投稿したら人々はどんな反応をするかを想像してみるべきだった。
 もしかしたら、その種の想像力は最初から持ち合わせていなかったか。

 よく庶民感覚と言うが、各国が激しくせめぎ合う政治、経済、外交の分野で、政治家が庶民レベルの発想で取り組んだとしたら、これも困ったものだ。
 庶民の上を行ってもらわなければ困る。
 その意味で、私個人は庶民感覚にはそれほど固執しないのだが、想像力の欠如には呆れ返っている。
 
 と、ここまでは前置きで本題はここから。
 
 学校が気軽にSNSで情報発信できる時代になった。
 これ自体は悪いことではない。
 というより、私は積極推進派なので、どんどんやってもらいたい。

 その際、心がけるべきは、学校側として「知らせたい情報」に偏っていないかを絶えず顧みることだ。
 別に「知らせたい情報」がいけないというのではない。
 「知らせたい」「知ってもらいたい」という気持ちが継続のモチベーションになるのだ。

 ただその一方で、学校外の人が「知りたい情報」と学校側が「知らせたい情報」とがすれ違っていないかどうかに注意を払わなければならない。
 両者があまりにもかけ離れていたとしたら、どれだけ発信しても結局は何も知らせていないのと同じことになる。
 1か月に一度くらいは、閲覧数やいいねの数、視聴されている時間帯などを分析してみる必要はあるだろう。

 常に「知らせたい=知りたい」である必要はない。
 むしろ、そういうケースは少ないかもしれない。
 学校側は「ぜひ知らせたい」が、学校外の人は「それほど知りたくもない」場合があるし、その反対に、学校外の人は「ぜひ知りたい」が、学校側は「あまり知らせたくない」場合もあるだろう。
 「知らせたい情報」を中心としつつも、常に学校外の人は何を知りたがっているのだろうと考えてみること、そういう想像力を働かせてみることが大事だ。

 話をルイ16世、ではなかった松川るい氏ご一行の話に戻せば、どんな写真であれ親しい間柄でやり取りしている分にはそれほど大きな問題ではなかった。
 もっとも今の時代、週刊誌あたりが独占入手とかで騒ぎ出す可能性があるが、ここまで問題化することはなかった。
 
 内輪なら良い思い出写真になるはずのものが、SNSで発信した瞬間、問題写真になる。
 学校広報担当者は常にこのことを心に止めておいた方がいい。

 別に憶病になる必要はないが、私の経験上、「内輪受けしたもの」は、ちょっと疑いをもったほうがいい。
 背景が分かっていて、前提があって、価値観を共有できているからこそ、仲間内で大受けするのである。
 
 演芸の世界に「楽屋落ち」という言葉がある。
 仲間うちだけにわかって、他の者にはわからないことを言う。
 
 広報担当者の皆さん、身内の評判があまりにも良すぎたら、ちょっと警戒するぐらいがちょうどいい。