大宮高校の塾関係者向け学校説明会に行ってきた。
同校としては初の試み。
◆塾の先生には辛い早朝開催
学校側としてもいろいろ事情があったと思われるが、9時開会は塾の先生方にとって少し厳しいのではないか。
通常、開会時間は10時、10時半、11時のいずれかであるから大宮高校の9時は異例とも言える早さだ。
来年も開催するのであればせめて9時半、できれば10時くらいにしてもらえると塾の先生方も少しは助かるのではないか。
会は校長挨拶、学校概要説明、質疑応答で約50分。
これはちょうど良い長さだ。
その後、希望者は授業見学し、流れ解散。
授業は2限目(10:05~11:10)と3限目(11:20~12:25)が公開されたが、私は次の予定があったので2限目だけ見てきた。
(授業の様子については別の機会に書く)
◆大宮高校成長の秘密はどこに
大宮高校は来年、100周年を迎える。
歴史と伝統を誇っていい学校だ。
ただ、県内公立には不動岡高校はじめ100年を超える学校はいくらでもあって、そういう中に入ると“引っ込め若僧”という程度のポジションだ。
しかし、ここに一つ大宮高校成長の秘密が隠されている。
つまり、大宮高校は伝統校界隈ではまだまだ新参者扱いであるが、その分、若さも勢いも失っていない学校なのである。
このあたりが、枯れ木のような、はたまた化石のような、元祖伝統校との違いであろう。この学校には歴史と伝統を楯に挑戦や改革を拒む勢力が少ないのだろう。
◆共学化の先駆者
大宮高校はさまざまな変遷を経て今日に至っている。
100周年と言うけれど平坦な一本道を歩んで来たわけではない。
そもそものスタートは私立の女子校であった(財団法人成均学園高等女学校)。そこからカウントして100年。
戦後、女子校ともう一つのルーツである男子校(農業学校)とが一緒になると同時に埼玉県に移管され埼玉県立大宮高校となった。
こうした経緯があるため(つまり女子校と男子校が一緒になってできたため)、当初は共学校とは言うものの、男子クラスと女子クラスに分かれていた。
私が現役教員だった時、たしか1980年代前半だったと思うが、「なんか最近大宮高校はホントの共学を始めたらしい」と噂したのを覚えている。今のような完全共学化はさらに後の話だ。
大宮高校は一本道を歩んできたわけではない。
このあたりが県立の第一中学校からスタートし、その後まっすぐ一本道を歩んで来た浦和高校や、県立高等女学校以来、統合も分離もなく一直線に進んできた浦和一女との違いだ。
大宮高校には紆余曲折があるのだ。
最近でこそ県下トップの進学校と言われようになった大宮高校であるが、かつてスポーツ学校と思われていた時期もあった。甲子園に春夏合計7回も出場していればそうなるだろう。女子バレーボールではオリンピック選手も輩出している(1回目の東京五輪)。
時に時代に流され、時に時流に乗り、その姿を変えながら今日に至った大宮高校は伝統は重んじるけれど、それに固執することはない。挑戦を恐れない。改革を躊躇しない。
学校のあり方を決めるのは誰か。
学校自身という面もあるのだが、それと同時に時代であり世の中でもあるのだ。
大宮高校には世の中の変化を受け入れる柔軟性と、それに合わせて自らの姿を変えてみせる“したたかさ”がある。
不確実性の時代に生き残るのはこんな学校なのだろう。
2025-06-29 at 21:22
いつも興味深い記事をありがとうございます。大宮高校の成長の要因は、県内の戦前からの伝統校との成り立ちの違いから、自らを常にチャレンジャーであると自覚し、さいたま新都心駅開設、学区撤廃といった環境の変化を機会として逃さず、65分授業、土曜公開授業、理数科開設といった先駆的な取り組みを積み重ねていったことにあると思います。
2025-06-30 at 20:59
男子女子クラスが別の時代の卒業生です。部活は一緒で大学を目指して学んでいました。
高校受験では女子は浦和一女と比べていました。
学校生活は男子校舎と女子校舎が違い学校生活が便利で住みやすく、部活の用事で男子校舎に行き時はドキドキでした。
楽しい学校生活は勉学に集中でき、大学受験にも良い高校制度だったと今でも思っています。
80歳近くになっても男子との付き合いが続いています。
最高の高校生活でした。