中学生向け受験情報紙「よみうり進学メディア」の原稿を書いている。
 今日書き上げたのは、その中の「受験生Q&A」というコーナーの原稿だ。

 この新聞にはいろいろな記事を書かせてもらっているが、唯一このQ&Aだけが署名入りになっている。
 お悩み相談だから実名の方が説得力がありそうだというのが一つの理由。
 もう一つは、いざという時、「それは回答者の個人的見解ですから」と発行元が逃げを打つためだ。なお、これは向こうから言われたのではなく、こちらからの提案だ。

 9月発行なので、その前に記事内容を明かすわけにはいかないが、今回こんな主旨の質問が寄せられた。
 「部活仲間と一緒の学校に行くのと、自分の実力に見合った別の学校に行くのと、どっちがいいか」。

 この「友達と一緒問題」に悩まされる親は結構いるだろう。
 塾の先生もそうかもしれない。

 件の質問者はまだ迷っているだけましで、どうしても誰ちゃんと一緒がいいと駄々をこねる子に、そういうのは駄目なんだと、どう教えるか。

 友達と同じ学校に行きたいがために、頑張って成績を上げてくれたらしめたものだが、世の中そう上手く行かない。
 たいていは、もっと上の学校に行ける力があるにも関わらず、友達と離れたくない一心で、レベルを下げると言い出すのだ。

 大人的に考えれば、友情なんてはかないものだ。
 次々に新しい友が目の前に現れ、そして去って行く。
 これまでの人生でどれだけの友と出会い、別れてきたか。
 いまは唯一無二の親友と思っていても、そんなものはいつまで続くか分からん。

 だが、彼らはまだ、人となってほんの十数年だ。
 先の話をしたって理解不能だ。
 それに、彼らにとって世界とは教室(クラス)なのだ。
 もうちょっと広げて学校がいいところだ。
 教室で一番は世界で一番であり、教室でビリは世界でビリだ。

 考えてみれば、われわれ大人だって、やれ世の中だ、世間だ、社会だと偉そうに言うものの、その世界はせいぜいが職場だったり、隣近所だったりする。
 そんな狭い狭い世界の中で、みんなと一緒がいい、みんなと違っていたいなどと、寝言みたいなことを言っている。

 「一杯付き合えよ」と言われ、「別の予定があるから」「そういう気分じゃないから」と断れない大人と、誰ちゃんと一緒がいいと駄々をこねる子供とどこが違うんだ。
 「友達と一緒問題」に悩む親は、一度自分の生き方や、子の育て方を振り返ってみたほうがいい。
 周りと一緒ということにこだわって来なかったか。
 そういう生き方、育て方の結果が、友達と一緒、誰ちゃんと一緒に繋がってるんじゃないの。

 今からでも遅くないから、自主独立の人生を歩もうぜ。
 
 と、まあ、こんなことを書いたら原稿はボツになるに決まっているから、ここだけの話だ。