いかがなものか。
 「日韓トップ、会わないのはいかがなものか」(岡田克也元外相)。
 こんな風に使う。政治家・官僚などにありがちな言い回しだ。
 今風に言えば、「日韓トップ、会わないって、どうなのよ」となる。

 はっきり言わない。遠回しに言う。断定を避ける。
 つまり婉曲表現(えんきょくひょうげん)というやつだ。

 日常の人間関係においては、無用な波風を立てないために婉曲表現は必要だ。私も時々使う。けど、感じ良くないね。
 岡田元外相の例で言えば、「なぜ会わないのか。会うべきだ」と、そうはっきり言えばいいのに、わざと曖昧な言い方をする。反撃や批判を恐れているのか。言質を取られたくないのか。自信がないのか。

 世論が、会わなくて正解だろうという方向に大きく傾いたとき。
 「いや、だから私は、いかがなものかと疑問を呈しただけで、会うべきだとは言っていない」と言い訳できる。
 逆に世論が、なぜあの時会わなかったという方向に大きく傾いたとき。
 「だから私は、あの時指摘しただろう」と、言い張れる。
 いかがなものかは、まことに便利な言い回しなのである。

 私はここで、岡田元外相を批判しようというのではない。たまたま最近見つけたテキストとして使っているだけで、人の上に立つべき人間は、大事な場面で、こうしたずるい言い方をするべきではないと言いたいのだ。

 私だって、人のことばかり言えない。「~だ」、「~だと思う」と書けばいいところ、「~ではないか」、「~ではないかと思う」、ひどい時には、「~ではないかと思ったりもする」などと、訳の分からん言い方をしてしまうのは年中だ。

 もちろん、言葉の選択や言い回しは、話題の中身にもよる。遠回しが効果的な場合だってある。
 しかし、きっちり言い切らなかったことで、人に不快感や不信感を与えてしまうケースもあるから注意しよう。
 いくつになっても日本語は難しい。