国連で気候変動に関するサミットが開かれ、そこでの16歳少女の演説がニュースで取り上げられている。少女はスウェーデンのグレタ・トゥンベリさん。新聞では環境活動家という肩書をつけている。高校生じゃないんだ。

 こういう子供を使った演出が話題を取りやすいのは分かるが、どうも好きになれんな。特に目新しいことを言っているわけではないが、子供が言えばニュースになる。そういう意図が見え隠れする。

 そう言えば、この会議には小泉進次郎・環境大臣が出席していた。誰が言ったか天才子役。その中身のない発言はポエムなどとも言われている。もしかしてこの会議、子供が大人の真似をして中身のない議論をする場なのか。

 少女の背後に大人がいる。
 子供に語らせる作戦は、話題性という点でも効果的だが、仕掛ける側からすれば、反論を封じやすいというメリットがある。
 少女は、大人が話すのは「お金や永続的な経済成長のことばかり」と批判するが、いやいや、その恩恵を生まれたときから丸々享受してるのが君たち子供なんだよ。君たちは二酸化炭素の申し子なんだよ。
 などと言おうものなら(言っちゃってるが)、嵐のような批判にさらされる。児童虐待と言われるかもしれない。

 相手が大人だったら、言いたい放題言えるが、子供相手にムキになって反論すれば、大人げないと馬鹿にされる。
 このやり方、フェアじゃない。

 仮にも国連という舞台なんだからさ。大の大人が、そして科学の専門家が、糞真面目かつ高度な議論を戦わせようではないか。
 子供を使う演出はほどほどに、ということだ。

 断っておくが、子供が環境問題を語るなと言っているのではない。子供を陰で操り、自らの主張を通したり、私利を得ようとしたりしている大人たちが醜いと言っているのである。

 学校の先生方が、このニュースを一つの教材として取り上げるのは悪くない。もちろん、その際は、「影に大人の存在が」などいうことは触れない。そういうのは大人になって知ればいいことだ。
 学校行かずに活動しているという点は、どうかなと思うが、これをきっかけに科学や哲学や歴史や経済に目覚めてくれればいいわけである。