若い方はご存知ないだろうが、戦後に一度だけ「国葬」と呼ばれる葬儀があった。
 1967年(昭和42年)。故・吉田茂元内閣総理大臣の葬儀だ。
 私は高校1年生だったので、その意味は理解していたが、その日学校が休みになったのか、半ドンになったのかはうろ覚えだ。
 たしか半ドンだったはずだ。
 それ以外、特別なことはなかった。

 えっ、半ドンが分からない?
 半日お休み(休日)ってことだよ。
 wikiで調べてくれ。
 昔は土曜日が半ドンだったが、週休二日制の定着と共にこの言葉も使われなくなった。

 当時の首相は佐藤栄作であり、私たちにとっての吉田茂は歴史上の人物みたいなものだった。
 その佐藤栄作元首相の葬儀は1975年(昭和50年)、「国民葬」として行われたがこの時の記憶はほとんどない。

 戦後の「国葬」「国民葬」はこの2例のみで、以後の首相経験者の葬儀は内閣と政党(自民党)の「合同葬」という形で行われている。
 まあこの先、「国葬」「国民葬」は二度と行われないだろう。
 国費を投じての「合同葬」も、今回の中曾根康弘・元首相の例が最後になるかもしれない。
 別に明確な根拠があって言っているわけではない。

 内閣・自民党は前例に則ったものだと言い、野党・マスコミは前例踏襲を辞めるんじゃなかったのかと言い、
 つまらん言い合いをしているが、こういうのは時代の流れなんだな。
 戦後唯一の「国葬」を記憶している我々がもう、半分死にかかってるんだ。
 じゃあ、この先、誰が言い出すんだ、って話だ。

 昔から「弔問外交」という言葉がある。
 政府要人の葬儀の際、各国首脳が招かれ、その際に首脳会談が行われることから、このように言われるのだが、首脳同士が頻繁に会えるようになった時代、「弔問外交」もまた死後ならぬ死語となるであろう。

 葬儀は簡素化の方向に向かっている。
 そりゃそうだ。
 高齢化イコール、老人がどんどん死んでいく時代だ。
 そんな時代に、葬儀が派手になって行くはずないだろう。

 だから、国民のムードとしてド派手な葬儀は今回が最後じゃないかと思うのである。
 以上、年寄り目線の感想だ。