最近知ったのだが、「年賀状じまい」という言葉があるそうだ。
 ある人に、年賀状出したいから住所教えてと言われたので、「個人情報なのでお答えできません」と答えるのは失礼かと思い、「何年か前から、年賀状出していないんですよ」と答えたら、「ああ、年賀状じまいですね」と言われ、なるほど、洒落た言葉があるもんだと思った。
 後で調べたら、「終活年賀状」とも言われているそうだが、「じまい」の方がスマートだ。

 「年賀状じまい」は、ある年の年賀状に、「今年を区切りに、どなた様とも年賀状でのご挨拶を控えさせていただくこととなりました」みたいな文面を添えるのが普通だ。
 だが、私の場合、なし崩し的に「年賀状じまい」をしてしまった。
 2016年12月のブログのブログに「今年は年賀状(2017年用)を出して」とある。
 ただ、この年は母の喪中ということもあった。
 次いで、2017年12月のブログに、「今年は年賀状(2018年用)を買っていない」とあるので、出していないということだ。
 2018年は平成30年であるから、ほぼ平成で終わっているということだ。

 年賀状を出さないことで、年末の大仕事が一つ減った。
 年賀状を出さないことで、昔から何となく続くあまり意味のない交流を断つことがことができた。
 一方で、新しい交流も生まれ、新しい関係も始まった。

 私のような高齢者は、「寄る年波により、最近では年賀状の作成が難しくなって参りました」とでも書けばいい。
 70歳ともなれば、皆「さもありなん」と許してくれるだろう。

 しかし、働き盛りの40代、50代はどうやって「年賀状じまい」をしたらいいのだろう。
 本音を言えば、「SNSでやればいいじゃん」なのだろうが、相手が上司だったり、お世話になっている年配者だったりすると、「もう時代遅れの俺たちは相手にしないってことか」などとひがまれてしまうかもしれない。順次撤退する作戦しかない。

 いろいろな考え方があるだろうが、個人間ならともかく、会社や学校関係の年賀状は意味がないと思うね。
 これこそ、止めた方がいい。
 中には手書きで一言添えてくる場合もあるが、ほとんどが同じ文面を印刷しただけだ。

 個人と違って、どこの会社(学校)から来たか、いちいち記録は取っていないはずだから、こっそり止めても分からない。
 いや、そこはきちんと「年賀状じまい」をしなくてはと言うなら、そうだな、「本校はSDGsに取り組んでいるところであり、CO2削減の一助とすべくペーパーレス化を推進しております」なんていうのはどうだ。または、「日本郵政職員の皆様の働き方改革を支援する」なんていうのはどうだ。年末年始ぐらい休ませてやれよ。
 最近のことはよく知らんが、以前私の所によくやって来た職員氏は、販売ノルマきつくていつも自爆してるって(自腹切って買うことね)、嘆いていたよ。
 まあ、そういった事情もあることだし、どこかのタイミングで「年賀状じまい」することを勧める。