自分を語るな。心がけてはいるのだが、これが難しいのだ。
 たしか1週間前にも同じような話を書いた。
 
 自分で自分を語るには、自身をとことん客観的に見る力が求められる。
 つまり語るのは自分であっても、語られる自分は他人になっていなければならない。
 一人二役ってことだ。
 これは相当高度なテクニックであって、これが無いとただの自画自賛になってしまう。
 聞く方からしたら、こいつは辛い。

 よく生徒の先生への要望の中に、「自分語りを止めて欲しい」というのがある。
 授業でも面談でも、とにかく自分は出さないでくれ。
 その瞬間は手を叩いて笑っていても、心の中ではいい加減にしてくれ、だ。

 他人に言えた義理ではないが、気を付けよう。

 ところで、こうした考え方の延長上にあるのは、学校説明会などでの説明ではないかと、ふと思った。
 この場合は、自分語りならぬ自校語りだ。
 たしかに、ここで自校を語らなければどこで語る、という話ではある。
 そのために会を開いてるのだから。

 だが、自分語りのほとんどが自慢話と受け取られるのと同じように、自校語りはただの学校自慢と受け取られてしまう危険性があるのだ。
 そんなもん聞きに来たんじゃない。

 学校説明会の校長挨拶でしばしば聞くのが、「うちの学校の先生はみんな熱心」といった類だ。
 そりゃあそうだろうよ。
 だったら、それは先生たちに直接言ってやれよ、って話だ。
 「うちの生徒は素晴らしい」も同じ。
 生徒本人に毎日でも言ってやれ、だ。

 じゃあ、どうする。

 一つの方法は、客観的事実として語ることだ。
 最近の出来事、ちょっとしたエピソードでもいい。
 事実を語ることによって、「へえ~、この学校の先生って、そこまで熱心なんだ」、と、聞き手に思ってもらう。
 「うちの先生はみんな熱心」は、「それって、あなたの感想ですよね」のレベルだ。

 先生はある意味、語りのプロなんだから、ちょっと気を付ければ出来るよね。
 私も努力する。

 昨日予告したように、諸般の事情あり、今日は短め。