今日はこのニュースから。「生徒遺族、学校側を提訴 13年愛知の高校寮火災で」(8月15日付け静岡新聞)。

―以下、引用―
 愛知県新城市で2013年、私立高の寮が全焼し、掛川市出身の2年生の男子生徒=当時(16)=が死亡した火災で、生徒の遺族が14日までに、同校を運営する学校法人を相手取り、慰謝料など約5300万円の損害賠償を求める訴えを静岡地裁に起こした
 火災は13年5月8日夕に発生した。愛知県警は、たばこの不始末が原因として、火元の部屋に入居していた当時2年生の元生徒を失火容疑で家裁送致。家裁は15年に元生徒を不処分にしている。
 訴状によると、同校では火災以前に女子寮で喫煙によるぼやが起きていたほか、男子寮に「喫煙室」を設けていたことが発覚して校長が愛知県青少年保護育成条例違反容疑で書類送検されたことがあった。
―以上、引用終わり―

 私立・黄柳野(つげの)高校だね。不登校生徒を支援する全寮制高校をうたっている。
 6年前の話がなぜ今ごろになって?、というのは理由不明。記事では新城市(しんしろし)の私立高となっているが、同市内の私立はここ1校。火災当時、死者が出たので当然ニュースで取り上げられているわけだし、今さら学校名を伏せるというのも理由がよく分からない。

 私が考えたのは、火災や訴訟ではなく、この手の学校の運営の難しさ。

 この学校、私立だが、いわゆる創立者がいない。
 「市民立」を謳い、設立委員会が全国から寄付を募って1995年に開校した。
 学校法人だから理事会があり理事長はいるが、本当の意味での経営者がいない。企業で言えば創業社長とか起業家だね。全財産投げうって学校と心中するくらいの覚悟を持った経営者がいないと、特に創業期はうまく行かない。私は先生を応援しているし尊敬もしているが、教育者だけでは学校はうまく行かないんだよ。経営者が必要だ。
 教育的な理想と、経営的な理想が常に矛盾なく一致してくれればいいが、そうは行かない。これは公立だって同じことだ。

 不登校の生徒を受け入れる学校というコンセプトは開校時点では大きな特色になりえた。全寮制というのも、だ。
 だが、その後、世の中の不登校に対する考え方が大きく変わってきた。不登校に寛容になった。
 「うちの子、不登校気味なんで」とか、「私、中学校の時、不登校だったんで」とか、本人や家族がさほど抵抗なく言えるようになった。公立高校でも不登校者のための入試制度を取り入れるようになった。また、通信制高校も注目を集めるようになった。
 
 最近流行りの言葉を使えば、ワンイシュー(シングルイッシュー)の学校。
 その問題が解決ないし解決の方向に向かえば、その存在意義が失われる。
 
 早く優れた経営者を得て、コンセプトを練り直さないと立ち行かなくなるのではないか。