塾対象説明会(じゅくせつ)がない6月は暇である。去年のメモを見たら、平日10日ほどはどこかに出かけていた。今年はゼロだろう。
 塾説のメインのお客は、塾生を送り込んでくれる塾長さん方だが、私のように塾生を抱えていな者が招かれるのは、枯れ木も山の賑わいということもあるが、学校側からすれば情報拡散が期待できるからだろう。

 招待されて(接待じゃないぞ)、何も返さないのは失礼だから、ご期待に応え、見てきたことをどこかに書くし、どこかで喋る。機会があれば新聞記事として取り上げる。
 自分で言うのも何だが、私は学校側から見れば安全パイだ。なぜなら悪口を拡散される心配がない(やっぱり自分で言うのは変か)。

 正直なところ、この学校のここのところはどうにかならんかとか、ここは絶対に改めた方がいいとか思う場合も多いのであるが、それを他所で言ってどうする。自分の考えに自信があり、本当にその学校のことを思うなら、直接言えば済む話だ。

 正直に告白すれば、駆け出しのころは、「あの学校はどうか?」と聞かれて、他人から聞いた受け売りの話をすることもままあった。何も知らない、情報を持っていないと思われるのが恐かったからだ。行ってもいない学校や、会ってもいない人について、あれこれ語っていた自分が恥ずかしい。

 長い年月をかけ、自分の中に学校を語るための4条件を確立した。
 ●授業を見る
 ●部活を見る
 ●行事を見る
 ●生活を見る
 生活というのは休み時間とか昼休みとか登下校など勉強以外の風景。

 4条件の確立などと言うのはちょっと大げさで、まあ自身への戒めみたいなものだ。すべてをクリアするのは至難だが、努力目標として常にある。
 むろん、個人の信条であるから、これを他人に押し付けようとは思わない。教育業界にもいろんな立場の方がおられるから、それぞれの立場は尊重する。

 先生は、教員として、またそれ以上に人間として成長しなければならない。完成された状態で先生になる人はいない。
 先生の成長は、先生になったときから始まる。
 これは親も同様で、親に子供ができるのではなく、子供ができたから親になるのである。子供ができて初めて親になり、親が親として成長するから子が成長するのである。
 

 5年間ほど書き続けた私の旧ブログのタイトルは「先生応援ブログ」という。今はタイトルを変えたが精神は同じだ。
 悪口を言いふらしたところで、学校も先生も成長しない。ということは生徒も成長しない。だから精一杯先生を励まし応援する。

 あいにく私には口が一つしかない。その一つしかない口も、そろそろガタが来ている。あと数年したら喋れなくなるだろう。すでに喋っているつもりでも相手に伝わらないことがある。残された時間はそれほど多くない。悪口の為ではなく、励ましの為に使おう。