いじめの認知件数が過去最多の61万件超となったというニュース。文部科学省が10月22日発表した。
 元データはコチラ。  
「令和元年度 児童生徒の問題行動・不登校等生徒指導上の諸課題に関する調査結果について」
 A4版130ページに及ぶので、すぐには読めない。今日のところは資料のありかをお伝えするにとどめよう。
 
 一応断っておくが、いじめの件数ではなくいじめの認知件数である。
 認知件数の増加は、いじめを見逃さない、いじめを隠さないということが徹底してきた結果と見ることもできるだろう。
 発見しなければ撲滅することもできないわけだから、前向きに受け止めることにしよう。

 なお、この調査は、タイトルにも明らかなように、いじめに特化した調査ではなく、問題行動全般について調べている。
 ニュースではいじめがクローズアップされるだろうが、暴力行為、不登校、中退、自殺など幅広く調査している。
 いじめが、からかいや悪口を超えて暴力化しているのかどうか、不登校や中退に結びついているのか、自殺の原因になっているのかなど、他の調査項目を合わせて見て行く必要があるだろう。
 残念ながら、今日は資料を読み込む時間がないので、別の機会に譲ることにしよう。

 その上で少しだけ話す。
 いじめは教育問題である。学校の問題である。
 先生方が、そのような責任感を持つのはいい。
 だが、学校で起きるさまざまな問題には、学校だけで解決できる問題と、学校だけでは解決できない問題がある。

 いじめ問題は学校や先生の力だけでは解決できない。
 いま私が学校の先生だったら。
 ゼロにする自信はない。
 時間と場所を校内に限定すれば、限りなくゼロに近づけることができるかもしれないが、見えない所で起きるから問題なのだ。

 だから、いじめは学校の責任だ、いじめは先生が解決しろ、そのように世間が言っているのだとしたら、先生方にはお気の毒と申し上げるしかないし、それではいつまで経っても解決しない。
 
 自分には子供がいない、とうの昔に子育ては終わった、だから関係ない。
 そう考えず、自分もまた、いじめがはびこる世の中を構成する一員なのだという自覚の元に、出来得ることを模索しよう。