受験は団体戦とはよく聞かれる言葉だ。大昔、自分が受験生だった頃には聞いた覚えがないから、最近の流行りなのだろう。
 なかなか使い勝手のいい言葉である。

 もちろん受験というのは、ペアやグループの合計点で合否が決まるわけではないからガチガチの個人戦なのだが、「みんなで頑張ろうぜ」という雰囲気作りにはちょうどいい。
 私も中学生向けの新聞記事などでは使わせてもらっている。

 「家に帰るまでが修学旅行だ」
 「服装の乱れは心の乱れだ」
 こういうのと同じで、冷静に考えればそうじゃないが、何となくそうだと思わせておいて害はない。

 さて。
 本番で団体戦をやると不正行為になるから、ここは個人戦だ。
 友達に頑張れよと言って本当に頑張られると、団体戦なら自分にも有利になるが、個人戦では不利になる。
 昨日の友は今日の敵というやつだ。

 つまり、受験が団体戦であるのは準備段階までである。
 本番その日は個人戦。
 
 だがしかし。
 日々受験は団体戦と言い続け、直前になったら、最後に頼れるのは自分だけだぞ。
 これは可哀想。
 ゴメン。先生今まで嘘ついてた、って話だ。

 よくよく考えりゃ、他人が自分の分を勉強してくれるわけがない。
 「大丈夫、オマエの分、オレがやっとくから」はないし、「オレが数学やっとくから、オマエは英語やってくれ」もない。
 受験が最初から最後まで団体戦であれば、このような関係が成立するが、実を言うと個人戦である受験にこの関係はない。

 というわけだから、受験は団体戦というようなホンワカとした標語も時にはいいが、「食うか食われるかの個人戦」という発想を叩き込んでやることも必要である。
 個人戦という発想に立てば、 
 「他人のことなど放っておいて、自分のことだけやれ」
 「人に励まされなきゃ勉強できないようじゃ、その時点で負けている」
 「お互いに傷口なめ合っていても向上はない」
 といった、ちょっと厳しめのアドバイスをしてやろうかという気持ちにもなる。

 団体戦の美名の下、かえって一人一人の弱さを助長しているのではないか。
 機会があったら、中学生向けに「受験は個人戦だ。頼れるのは自分だけ」という記事を書いてやろう。