わが子の成績が悪いとお悩みのお父さんお母さん。成績がものを言うのは、子供のうちだけだ。学校に行っている間だけだ。
 これは半分は気休め、半分は本気で言っている。

 職業(仕事)というのは、基本同時に二つ以上は選べない。
 中に、二足の草鞋を履く人もいるが、兼業とか副業というくらいだからメインは一つだ。
 そして、一つの仕事には、一つの飛びぬけた能力があれば十分だ。

 天は我々に同じ時間しか与えていない。
 一つに集中すれば、他に割り振る時間はその分だけ減る。
 学校の成績がいい人は、力の配分が上手な人だ。
 通常それを頭が良い人と呼ぶ。

 たしかに力の配分は重要であって、それはそれで一つの能力と言えないことはない。
 だが、世の中には力の配分が下手な人もいる。
 しかし、そこで絶望するのは早過ぎる。

 力の平均的な配分が下手なら、それは捨てて、力の集中に賭ければいい。
 流行りの言葉を使えば「全集中」(by鬼滅の刃)である。
 
 どうせ5教科とか9教科(中学生の場合)やったって、将来使えるのはせいぜい1教科か2教科だ。
 仕事によっては、それすらも必要としない。

 お父さんやお母さんは、自分の職場で、学校の成績が良くて学歴は見事だけど丸っきり使い物にならないアホを沢山見ているだろう。
 こいつらは、力の配分だけで生きてきて、力の集中を怠ってきた連中だ。

 野球やサッカーばかりやっている子に、「もっと勉強もしなさい」
 漫画やアニメばかり見ている子に、「勉強もそれぐらい頑張りなさい」
 というのが、ごく普通のアドバイスであり、指示命令であり、お説教である。

 が、ここで少し視点を変えてみる。
 得意と言う割には練習が足りてないんじゃないの。
 好きと言ってるくせして読み方が不足してるんじゃないの。
 つまり、配分の重要性ではなく、集中の重要性を教える。

 目をつぶる。
 英語が得意なら、数学の苦手には目をつぶる。
 社会が好きなら、理科嫌いには目をつぶる。
 人の成長を促すには、時にこうした寛容性が必要なんですよ。
 目をつぶってしまえば見えないから気にもならない。

 でも、それじゃあいい高校、いい大学に入れないんじゃないですか?
 そう、そのとおり。
 だから、わが子にそういう人生を送らせたいなら、力の配分を徹底的に教えよう。

 いい学校を出て、いい会社に入って、世間から羨ましがられて、お金の心配もせず、何不自由のない人生を送る。
 私は、経験がないので、そのような人生の喜びを知らない。
 次に生まれてきたときは、そっちを経験してみるのも悪くないと思う。

 現実の私は、今にも倒れそうな会社を経営し、世間から陰口を叩かれ、借金まみれで四六時中金の心配をし、明日をも知れぬ人生を送っている。
 では、そういう生活から逃れたいかというとそうでもなく、結構刺激的でそれなりに楽しいものである。
 気楽さに慣れてしまったのかもしれない。
 そんな私が70年近い人生を振り返り、悔いる点があるとすれば、力の配分の稚拙さよりも、力の集中の足りなさである。
 力の配分を上手くやれば、もっと違った人生になったと思うが、力の集中をしていれば、それとは比較にならないくらい違った人生になっただろう。

 というわけだから、わが子の成績が悪いとお悩みのお父さんお母さん。
 配分は苦手なのだと観念して、集中に活路を見出すことにしましょう。
 うちの子は何の取柄もない?
 何を言ってるんですか。
 私はこれでも教員経験者だけど、何の取柄もない子なんて見たことないですよ。
 そういう親は、子供の頭の悪さより、自分の目の悪さを心配したほうがいい。