本日の埼玉新聞ニュースに埼玉県とさいたま市のオンライン授業に関する記事が2本。
 「さいたま市、デジタル授業始まる」
 「県立総合教育センターが『家庭学習支援サイト』立ち上げ」
 
 本ブログ読者の皆さんには、この件、すでにご紹介済みなのだが、まだの方はコチラも合わせてどうぞ。
 「自宅学習に役立ちそうなサイトを見つけたのでご紹介」(5月4日付)」
 「オンライン授業の陰で分の悪い課題学習を応援してみる」(5月8日付)」

◆どっちにしても批判されるんだ
 県や市が何もやらなければ、現場に丸投げと批判され、やったらやったで使い物にならんとか、クソ動画と批判される。どっちみち批判されるのだ。
 批判コメントを趣味や生きがいにしている人もいるみたいだが、経験的に言えば、そこで述べられている問題点のほとんどは実施前にすでに議論し尽くされている。
 県教委や市町村教委というと教育には素人の「お役人」をイメージされる方もいるかもしれないが、ついこの間まで学校で授業していた先生がいくらでもいるし、来年になればまた学校に戻って行く先生もいる。立場が変われば考え方も変わるだろうが先生であることに違いはない。だから、学校の先生方の気持ちも理解できるし、児童生徒や保護者の反応も大方予想できるはずだ。
 
 と言いつつ、私は批判はあっていいと思うよ。
 直接の利害関係がない人が、当事者や関係者には見えにくい盲点を突いてくることだってある。
 自分がいい気持ちになるための批判ではなく、問題解決へのヒントが欲しい。これなら大歓迎。

◆授業や指導に完成はない
 自分で自分の動画を観て落ち込んでいる先生が大勢いるだろう。
 ZOOMなどで双方向をやっている塾の先生だって毎日反省会のはずだ。
 でも、仕方ないんだよ。急遽やってんだから。初めてなんだから。
 ICT教育に限らず、スキルというのはやってみないことには身に付かない、上達しない。

 という話をすると、子供は実験台じゃない。
 たぶん、そう言う人が出てくるだろう。
 だが、完成された教員はいないし、完成された授業というのもない。毎日が、毎時間が、お試しの連続だ。
 ああやったらどうか、こうしたらどうかと、絶えず試行するのが授業である。
 十年一日がごとき授業をしていれば、それはそれで何の工夫もないとか、給料泥棒と言われる決まっているから、だったら実験台と言われようと試行したほうがましだ。

◆教室での対面型授業の新しいイメージが湧いてきたはず
 これから先、学校や塾の指導が、私の時代のように「黒板とチョークだけ」に戻るとは思えない。
 ICT教育は進めるしかない。もちろん伝統的な学習にも捨てがたいものはあるが、それはそれ、これはこれって話だ。

 各家庭の事情やら通信環境やら解決すべき問題は多い上に、そもそも、教える側も教わる側も、新しい学習スタイルに慣れていないときている。
 どっちも初心者なんだから、うまく行くわけないじゃない。

 でもね。授業動画撮ったり、オンラインの双方型授業をする中で、先生たちの頭の片隅に、教室での対面型授業の新しいイメージが出来上がりつあると思うわけだ。
 何も思い浮かばないなら、先生やめたほうがいいぞ。