「穿った見方」という言い方がある。「穿つ(うがつ)」は「雨だれ石を穿つ」の「穿つ」であるから、掘り下げるといった意味合いだ。よって「穿った見方」は、物事の本質を的確にとらえた見方である。
 が、文化庁の調査によれば、半数以上が、疑ってかかるような見方をすることだと思っているようだ。

 このように多くの人が本来の意味と違った解釈をしている言葉は、注意深く使う必要がある。
 「うん、それは穿った見方だ」と褒めたつもりが、相手を不愉快にさせてしまうかもしれない。「私はできるだけ穿った見方を心がけている」と言おうものなら、何だこのへそ曲がりめ、と嫌われてしまうかもしれない。

 はい、ここまで前フリ。
 ここからが本題。

 児童生徒に、一人一台のコンピュータ。
 これは国策である。

 2019年12月13日、「GIGAスクール構想」なるものが発表された。この場合のギガは通信速度とかのギガではなく「Global and Innovation Gateway for All」の略語である。日本語に直すとどうなるかは、私にはよく分からん。
 この構想では、校内LANの整備、一人一台のPCなどが目指されている。2019年度補正で2318億円の予算がついた。これにより、2020年度中には校内LANが整備され、端末については一人当たり最大4万5千円の補助金が支給され、2023年度までには一人一台のPCが実現する計画だった。

 このとき私は、教育政策というより産業経済政策の匂いがすると思った。国民の声に応えるというより産業界の要請に応えたものではないかと思った。もしかしたら、背景に外圧があるのではないかとも思った。

 GIGAスクール構想は唐突に出てきたものではない。その前段に、「教育のICT化に向けた環境整備5か年計画(2018~2022年度)」があった。この段階ですでに将来の一人一台が構想されていた。しかし、自治体により取り組みへの濃淡があり、全体としてあまり効果が見られなかった。

 まあ自治体としても、クーラーの設置やらトイレの洋式化やら、目の前に大きな課題があったのだから、PC一人一台の優先順位がそれほど高くなかったのもやむを得ない。

 で、業を煮やした?政府が繰り出したのがGIGAスクール構想。という図式なのではないか。いずれにしても、これは数年前からの国策なのである。

 さて、そこに降って沸いたのが新型コロナである。
 政府は真っ先に学校の臨時休業という手を打った。私は、「えっ、そこからかよ」と思った。
 だが、その後の世の中の動きを見て、疑問が解けた。

 人々はオンライン授業という言葉をようやく知った。実感のある言葉として知った。
 学校が休校になり、オンライン授業の有効性が叫ばれた。しかし環境が整っていない。そこで、やるなら国や自治体が金を出してPC一人一台の環境を作らなきゃダメだろうという声が高まってきた。

 待ってました。その言葉。

 言われるまでもない。前からやりたかったんだ。なにせ国策だから。
 今まで自治体が積極的でないことにイライラしていたが、今や国民がやれやれと言っている。国にとってこれほど都合の良い状況はないではないか。

 学校を休みにする
 ↓
 在宅学習、オンライン授業に注目が集まり、人々が必要性を知る
 ↓
 環境整備が進んでいないことへの不満が高まる
 ↓
 国策「GIGAスクール構想」が進めやすくなる

 というシナリオだったかどうかは分からないが、結果として「GIGAスクール構想」は加速できた。やっぱり学校休みにして正解だった(by国)。

 以上、私の穿った見方である。
 本質をとらえているような気もするが、斜めから見過ぎているようにも思える。